どんなにつらくても、あきらめたくなかったから。

どんなに苦しくても、逃げることが嫌だったから。

だから僕は、今でもこれを続けているんだと思う。

あの時出会った、赤い髪の少年のおかげで………

 

 

 

 

 

 

雨が滝のように流れ落ちる中、

一人の少年が、サッカーボールを蹴っていた。

 

雨合羽をかぶり、長靴を履き、

およそサッカーをするには向かない格好で、

少年は、ただひたすらに、ボールを蹴り続けていた。

 

少年は、何処にでもいる、普通の少年だった。

この少年が、サッカーを始めたのも、友達に誘われたから、という安直な理由。

 

そして、この少年は、所属しているクラブチームの中で、

一番才能があるのに、一番下手な少年だった。

 

なぜ、といわれて返せる答えはない。

練習量だって他のチームメイトと一緒だ。

それなのに、なぜ彼がこうもへたくそだったのか。

 

それは、すごく簡単な理由。

自分に自信がもてないから、消極的だから。

だから彼のプレーは、まだその真価を発揮できていなかった。

 

だから彼は今練習している。

雨の降り注ぐ中、風邪をひく事をもいとわずに。

 

 

 

 

 

 

 

ばしゃばしゃと泥が舞う。

蹴り上げた足にはすでに大量の泥がついている。

 

そして少年はボールをいったん止めた後、

思い切り助走をつけてボールを蹴り飛ばした。

 

「うわぁっ!?」

 

ボールが壁に激突すると同時に少年が転ぶ。

泥まみれになった少年は、仰向けになったまま空を見上げる。

 

暗く湿った雲が重なっている空は、見ているだけで気分を沈める。

その空を見ながら、少年は自分の境遇に思いを馳せる。

 

「………意味、ないのかもなぁ」

 

少年は諦めとも取れる言葉を口にする。

 

「どれだけやったって、結果、ついてこないんだもんなぁ………」

 

確かに、今彼に結果はついてきていない。

しかし、そのことで彼を責めたてるチームメイトは、一人もいなかった。

そして逆にそのことが、彼を苦しめている原因にもなっている。

 

自分のミスを、他人に背負わせる罪悪感。

どれだけ失敗をしても、励ましてくれる仲間たち。

 

その人たちに、申し訳が無くって、

ただごめんと言うことしかできなくて、

そして彼の仲間たちは、そんな彼をいつも笑って許してくれた。

 

だからこそ、辛い。

だからこそ、苦しい。

 

 

「俺………、サッカー辞めた方が良いのかなぁ………」

 

そう、彼が呟いたときだった。

 

 

 

「あきらめるのかよ」

 

 

 

その声は、非常によく響いた。

済んだ声、力強い声、聡明な声。

そして何よりその声は、

少年に必要なもので満ち溢れていた。

 

「………誰?」

 

「誰でも良いだろう、別に」

 

少年の質問に、その青年はぶっきらぼうに答える。

 

「それよりも、お前今何かを諦めようとしてたろ」

 

「え……………」

 

「なんで諦めようとするんだよ。せっかく今までやってきたのに」

 

「だって………、俺、すごいへたくそだし、いつもミスばっかりやって、監督に怒られて、

 そのたびにあいつらに迷惑かけてるんだ。 だから、俺がいないほうが、あいつらだって………」

 

「ばかだな、お前」

 

青年はサッカーボールを足でリフトアップする。

そのままリフティングを続けていく青年を、少年はただ黙ってみていた。

 

「結果が出ないこととがんばることは別のことだろ?」

 

「でも、がんばって結果が出なければ同じ事だよ」

 

少年はうつむきながら答える。

 

「そこが馬鹿だって言ってるんだよ」

 

少年は顔をあげる。

見ると青年は、ずっとリフティングを続けていた。

 

泥まみれになっているズボンを見て、少年は思った。

この人は、自分とは、決定的に何かが違うのだと。

 

「確かに今は結果が出てはこないのかもしれない。

 でも、”がんばったこと”は、いつかきっと、君を助ける。

 それなのに諦めてしまうなんてさ、勿体無いじゃん」

 

「でも………」

 

「でも、とか、だって、は禁止。 そんな言葉は、自分に逃げ道を作ることしかできないからな」

 

「…………………………」

 

少年は、またうつむく。

それを見て、青年はボールを少年に手渡す。

 

「才能が無いとか、努力しても認められないとか、そんなくだらないことで何かを諦めるなよ。

 どれだけ才能のある選手でも、認められるための努力は、きちんとやってるんだ」

 

お前だってできるはずさ、と青年は言う。

 

「………じゃあ、あなたは努力しているの?」

 

「一応な。 とある奴に勝てるように努力はしている」

 

それでも勝ててないけどな、と青年は笑う。

 

その、青年の微妙に虚しさが漂う笑顔を見て、少年は思う。

この人は、まるっきり自分と違うわけじゃない、

どこかしらは、自分と同じなんだろう、と。

 

でも、そのどこかしらがいまだ少年にはわからない。

そしてそれは、青年が隠したかったものでもある。  

 

 

努力しても結果が得られない虚しさと、

それを続けることへの空虚な思い。

 

 

それこそがこの二人に直結しているものであり、

二人の共通点ともいえるべき存在であった。

 

にもかかわらず、少年と青年には違いがある。

これは人間として仕方の無いことなのだということを、

その当時の少年はまだ知らなかった。

 

 

「………なんで、あなたは努力を続けるの?」

 

「勝つため」

 

「でも勝ててないんでしょ?」

 

少年のその言葉に青年は肩を落とす。

 

「まあね」

 

「そしたらさ、それって無意味なことにならないの?」

 

「それはないよ」

 

「どうして?」

 

少年は思ったことをどんどんぶつけていく。

それが、自分の救いになると、予想しながら。

 

「さっきも言った。 努力すること自体は、無駄にならない。 がんばったということは、必ず自分のためになるから」

 

「それじゃ、同じ問答の繰り返しだよ」

 

「かもな。 もともとこの世界に答えなんて無いのかもしれないし」

 

そう言って空を見上げる青年の言葉が、少年には理解できなかった。

努力を続ける意味、諦めない心、弱さに理由をつけないこと。

 

そして、この世界に答えは無いという言葉。

 

それらは、幼心には理解しにくい言葉。

でも、感覚としてなら、いくらでも理解できる。

 

「ねぇ」

 

「ん?」

 

「さっき努力は無駄にならないって言ったけど、 それは本当のことなの?」

 

少年の素直な質問に青年は表情を曇らせる。

そして少しの間言葉を吟味してから、青年は話し出した。

 

「俺が一番無駄だと思うことはな」

 

「うん」

 

 

「今まで続けてきた努力を捨てて、逃げ出すことだ」

 

 

「………………」

 

「さっきは本当だって言ったけど、これは例外。 このときだけは、その努力は無駄になる」

 

「やっぱり、努力だって、無駄になるんだ」


少年は今までえらそうに語っていた青年を小馬鹿にするように微笑む。

「勘違いするなよ」

 

「え?」


微笑んでいたので、少年は青年の口調が変わったことに素直に驚いてしまった。

「この場合、その努力を無に返しているのはなんだ?」

 

青年の質問が、少年には理解できなかった。  

それゆえ、少年は答えを返すことができなかった。

 

その少年を見て、青年は答えを言った。

 

 

「このとき、努力を無駄にしているのは、それまで努力を続けていた奴の心だよ」

 

 

知覚でなく、認識でもない、単なる感覚だけの理解。

それでも、その少年の心には、その言葉の意味がしっかりと刻まれた。

 

 

「さて、ここで質問」

 

青年が手を差し伸べる。

大きくて、暖かな光を放っているような手のひらを。

 

「君はこの話を聞いて、これからどうするのかな?」

 

 

そんなことを聞かれなくても、答えは、決まっていた。

少年が顔を上げて空を見る。

 

 

いつの間にか、雨はあがっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「というわけなんですよ」

 

とある町の公園の中を二人の男性が歩いている。

片方は齢三十くらいの中肉中背の男性。

もう片方は少し童顔の男性だった。

 

「へぇ、面白いですね。天才サッカープレイヤー海原貴彦(うなばらたかひこ)誕生のきっかけ、それが見ず知らずの青年によるものだったなんて」

 

「いや、そんなものじゃないんですけどね。 ただ、あのときでしたね、逃げるのをやめようって思ったのは」

 

海原と呼ばれた童顔の男性は空を見上げる。

 

「それにしても髪が真っ赤、眼が澄んだ蒼の大学生くらいの男の子ねぇ。 その人って、外国人とかじゃなかったんですかね?」

 

「今となってはわかりませんよ、彼にはその後会っていませんから」

 

海原は遠くを見つめる。

その先には、彼の姿がある。

 

「それにしても昨日の試合も大活躍でしたね。 チームも快勝、そして現在首位! 言うことないじゃないですか」

 

「それなんだけどね、私ももうそろそろ三十五だ。 引退、というものも考え始めないとね」

 

勿体無いですね、と男は言う。

 

「どれだけがんばっても決して勝てないものはある。 負けたくないと思っていてもね」

 

「年齢のことですか?」

 

「それもある。 だけど………」

 

あの人には、絶対に勝てないから。

その言葉を、海原は飲み込む。

 

そして少し周りを見渡したとき、

海原の眼に、何かが入り込んだ。

 

「!」

 

「あれ? 海原さーん!?」

 

海原貴彦が走り出した先には、

赤い髪と澄んだ蒼い眼を持った少年がいた。

 

海原に気づいた少年は微笑みながら海原のほうを向く。

息を切らしながら駆け寄ってくる海原。

 

「君は………、いったい………」

 

なんなんだ、という言葉を海原は飲み込む。

海原を見て、少年は嬉しそうに目を細めた後、

 

「お久しぶり、がんばってるかな?」

 

「ああ、今でも諦めずにがんばっているよ」

 

「それはよかった」

 

「君は、どうなんだい?」

 

「俺は……、目標を達成したから」

 

「そうか、それはよかったね」

 

はたから見れば、十二歳の少年と、三十歳くらいの大人との会話。

しかしその二人は、十九歳くらいの青年と、十歳くらいの子供の気分になっていた。

 

再会を懐かしむように、二人は言葉を掛け合う。

そして海原は、一番聞きたかったことを、少年に聞いた。

 

「もしも君があのときの人だったとして、だとしたら、君はいったい何者なんだい?」

 

我ながら、馬鹿な質問だと、海原は思った。

でも、この少年なら、その質問にとんでもない回答をしてくれると、

そう思ったから、海原はあえてこの質問をした。

 

 

「何者、ねぇ」

 

少年は少し考え込んでから。

 

 

「努力している人の前に現れる、水先案内人って所かな」

 

 

その答えに、海原はただ、黙っていることしか出来なかった。

でも、彼の心は、幸福で満ち溢れていた。

 

なぜって? それは簡単。

 

あなたの心にもいるでしょう?

 

 

 

一生かかってもお礼が出来ないほどの、恩人が。

 

 

 


 

 

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