ふんわりとした生地に白く磨かれた歯が入る。
焼きたての熱を保った中身の生地を前歯が掬い取り、口の中に運ぶ。
小麦粉とだし、そして天かすやタコなどの食材のえもいわれぬ香りが鼻腔に広がる。
ふわっと鼻の粘膜を刺激するそれは肺の奥まで伝わり、脳に美味なる刺激をもたらす。
齧った生地を舌で転がしながら、ふうふうと息をかけ、冷ましながら食べる。
一口生地を歯が押しつぶすたびに広がる甘く、そして塩辛い旨味。
生地に含まれている胚芽ローストがカリカリと口の中で踊る。
極限までやわらかさを追求した生地に含まれている胚芽ローストが鮮烈なアクセントを加えている。
噛み砕き、飲み下す最後の一瞬まで熱さを失うことなく、
食道を焦がしながら胃にすとんと落下し、その熱さを臓器全体に感じさせる。
もう一口、残っている生地を爪楊枝を上手く使って口の中に入れる。
鼻腔を刺激する香りとともに、食べやすい温度まで下がった生地が舌の上に転がる。
先程よりは食べやすくなった生地を、少し名残惜しそうに噛み砕いていく。
熱さによって感じなかった微妙な香りや、生姜汁と胡麻をアクセントにしただし汁の風味が舌を蕩けさせる。
生地の奥底で眠っていたタコを、少し強めの力で噛み潰す。
新鮮なまま生地に包まれ、焼かれたタコは、その弾力と味を失わずに口の中で踊る。
何度噛んでも尽きることが無いように思えるその味は、もちろん絶品、一級品のタコの味だ。
そうして一口、もう一口と次々に生地が口の中に入る。
噛み砕き、飲み込み、その味を余すところ無く楽しんでいく。
そして最後の一口を食べ終わった少女は、爪楊枝を容器に置いて一言。
「絶品や〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」
と立ち上がって叫んだそうな。
ここは海鳴市の中心部。 ショッピングモールやら色々な施設が立ち並んでいる。
残暑を過ぎていることと、今日は日曜日なので、行き交う人も多い。
気候が秋や冬に向かい始めているせいか、下に穿く物は長めにしている人が多い。
季節は夏の終わり、ということで過ぎ去る夏を惜しむ者たちも多い。
逆にこれから来る食欲の秋に向けて少し体重を減らしておいたり、
スポーツの秋に向けて体を鍛えたり、読書の秋に向けて本を買いだめしておく者もいる。
そんないろんな思いを心に秘めた人々が歩いていく中。
子供三人に大人一人、しかも全て女性と言うパーティーが歩いていた。
一番背の低い少女は水色の腰のあたりまで伸ばしたロングヘアに、
左側の前髪にバッテン印のような黄色のゴムバンドをつけている。
服装は少年が着るような抹茶色の短パンに、髪と同じ水色のTシャツ、
靴下はふくらはぎまでの白色のハイソックスで、靴は真っ白なスニーカーをはいている。
その少女の隣にいる少女は、真っ赤な後ろ髪を二つの三つ編みに分けていて、
これまた野球少年がかぶりそうな前につばの着いた野球帽みたいな帽子をかぶっている。
服装は袖が黒、その他が白で、胸のところに"のろいうさぎ"と呼ばれるキャラクターのプリントが入っているTシャツ。
ズボンは太もものところにポケットがついた黒色の短パンを穿いている。
「なー、はやてー、あたしにもたこ焼きくれよー」
「リインも食べたいですー」
「はいはい、ヴィータもリインもちょっと待ってな?」
はやては自分の左手に下げてある袋からたこ焼きが入ったパックを二つ取り出す。
それを自分の隣にいる水色の髪の少女と赤毛の少女に渡す。
水色の髪の少女、リインフォースU(ツヴァイ)はそれを受け取り楽しそうにはしゃぐ。
赤毛の少女、ヴィータはもらったたこ焼きの包みを開け、中身をほお張り始める。
とてもおいしそうにたこ焼きをほお張っていく二人を見て、先ほど叫んでいた少女、八神はやてはにっこりと笑う。
ちなみにはやての服装は制服用の白色のワイシャツとリボン。
それとサマーセーターに、黒の膝丈までのプリーツスカートと白色のハイソックスである。
ワイシャツの第一ボタンを開けて、リボンを少し下げているところを見ると気温にはうんざりしているらしい。
そんなはやての隣を歩きながら微笑んでいる女性が一人。
白地のワンピースに水色のカーディガンを着用し、麦わら帽子をかぶっている。
避暑地にいそうなお嬢様スタイルの女性は左手のハンドバッグからペットボトルを取り出す。
「はやてさん、喉渇いてませんか?」
「お気遣いありがとうございます。 でも大丈夫ですよ、フィリスさん」
フィリスと呼ばれた女性はそうですか、と言ってペットボトルをしまう。
それから麦わら帽子の角度を調整して、ハンドバックを手にかけなおす。
「それにしても残暑は過ぎているのにまだ暑いですね」
「ええ、本州ではまだまだですよ」
はやては額に手をかざしながら空を見上げる。
残暑が過ぎているとはいえ、九月の中旬の太陽は意外にも日差しが強い。
はやての兄は帽子などをかぶっていった方がいい、と助言していたがあながち過保護でもないようだ。
なにせ今日の日差しは八月の中旬のそれに近い強さで降り注いでいる。
長袖では多分暑くて耐えられないだろうし、半袖で日差しに当たり続ければ日焼けをしてしまう。
かなりのシスコン、及びフェミニストの自覚があるはやての兄は女性の肌が汚れることを極度に嫌う。
もちろん妹であるはやてに対しては人一倍過保護で、ちょっとの怪我でも心配する。
表面上はあまり心配してそうに見えないのだが、いろいろと世話を焼きつつ心配してくるのがはやての兄である。
そんな世話焼きのシスコンの兄にいつもはしていないお礼でもしようか、と思って四人は街に来ている。
とりあえず日用品の買出しを済ませ、それからゆっくりと品物を選ぼうということにしていたのだが、
はやてが偶然見つけたたこ焼き屋で買い物をしてしまい、あまりの旨さに五パックも買ってしまった。
おかげで本来であればはやての兄のために残しておいたお金が、今は七千円しか残っていない。
どうしようかと途方にくれるのもみっともないので、気を取り直して歩いているという次第だ。
「はぁ………、どないすればええんやろ」
「とりあえず今日は諦めましょうよ。 お金もなくなってきましたし」
「いや! これを逃すとしばらくチャンスはないんや!
なんとしても今日成功させなきゃあかん!」
フィリスが説得にかかったが意気込んでいるはやてには効果が無い。
はやてはでもどうすればええんやろ………、と今更ながらに悩んでいる。
(やっぱりあきらめるしかないんか……、でも、お兄ちゃんにプレゼント買ってあげたいしなぁ………)
先月はやての兄がはやての為に買ってきてくれた宝石。
あれをもらったとき、すごく嬉しかったな、とはやては思い返す。
突然出かけていって、突然帰ってきたら渡してくれたプレゼント。
今はネックレスにして自分の机の引き出しにしまってある。
兄と一緒にパーティーとかに行くときに着けようと思っているネックレス。
大粒のガーネットがついた、はやてがひかるにもらった初めてのプレゼント。
大事な大事なはやての宝物。 世界で一番大切な、ひかるからの贈り物。
あれをもらったときの嬉しさが今でも色あせることなく感じられるから、
ひかるにも、自分と同じような嬉しさを感じてもらいたいから、
だから、今日は張り切って買い物に出た。 とっても張り切って。
(せやけど、何も計画立てずに来てもうたから、結局何もでなきくなってもうた………)
本日の予算は三万円、本日行くところは海鳴市でも有名なデパート。
昨日はやてが立てていた計画は、以上を持って終わりを告げている。
一流の軍師が見ればあまりにもずさんな計画だと一笑に伏すだろう。
それに計画実行日の今日はイレギュラーが立て続けに起こった。
朝は靴紐が切れ、出かけてからバスに二本乗り遅れ、
途中黒猫を見たかと思いきゃ、そのあとにリインが迷子になりかけた。
そして、結局予定に無かったたこ焼きを買ってしまい、プレゼントの予算が減ってしまった。
もう今日は何かに祟られているのかと本気でそう思ったくらいである。
それでも持ち前の元気とおっとりした癒し系のフィリスのおかげでここまで進んできた。
しかし、やはりたりないものはたりないので、ここで諦めざるを得なくなってしまった。
「はぁ………、やっぱりあきらめ………、おっと」
誰かの体にぶつかる感触がはやての右肩に感じられる。
うつむいて歩いていたせいか、周りの状況が見えなくなっていたのである。
はやてが顔をあげると、そこにはもろ不良ですと看板を背負っていそうな連中がいた。
「おい、どこ見て歩いてんだガキ。 慰謝料払ってもらおうか?」
茶髪のチンピラ風の男がはやての腕を掴む。
それに気づいたヴィータとリインが戦闘体勢に入る。
男たちがはやてを取り囲む前にヴィータとリイン、フィリスがはやてを守るように立つ。
男たちは思い思いの武器、ナイフやチェーン、中には拳銃まで、を手に取る。
にたり、と笑いを浮かべている男を睨みつけるヴィータとリイン。
そんな中、フィリスはどうにかして逃げ道を探そうとしていた。
「おやおやおや? あんた保護者さん? その娘さー、俺にぶつかってきたんだけど、
おかげで腕動かなくってさ、そんなわけで慰謝料払ってもらえる?」
安くは無いけど、とチンピラはナイフを指先でくるくると回す。
「それ、嘘だろ。 そうじゃなかったらナイフなんか握れねーよ」
「黙ってろクソガキ。 お前なんかに用は無いんだ」
「なんだとこの野郎………!」
怒りのあまり、グラーフアイゼンを起動しようとするヴィータをはやてが抑える。
こんな一般人相手にアイゼンを振り回せば相手にものすごい被害が出てしまう。
「さてと、それで? 慰謝料は払ってくれるのかな?」
「嫌です。 はやてさんは何もしてません。 ぶつかってきたのは貴方たちの方です」
男たちの目つきに凶暴さが垣間見える。
チンピラはナイフをフィリスの首筋に当てる。
「なめんなよ、オバサン。 こっちが腕動かねぇつってんだ、大人しく慰謝料払いな!」
どすの利いた声でフィリスに詰め寄るチンピラ。
しかし、彼はこの後に後悔することになる。
「おい、今なんて言った……?」
「ああ?」
「なんて言ったかって聞いてんだ、素直に答えろ………」
はやてはヤバイ、と思った。
フィリスの目つきが、狩る者の目つきになっている。
ひかるが本気でキレたときと、同じ目つきに。
「言っとくけどなオバサン、あんまり調子乗ってっと………」
はやてはもう遅い、と呟いて男たちの隙間をかいくぐる。
それに続く形でリインとヴィータが外に逃れる。
ちょうどヴィータが逃れた瞬間、フィリスの怒号が響いた。
「よくも私のことを"オバサン"呼ばわりしてくれたなクソ野郎どもがっ!」
一瞬そのチンピラには何が起こったのかわからないだろう、とはやては思った。
チンピラが腑抜けた顔をして、フィリスの鉄拳に吹き飛ばされた。
一瞬の出来事に反応できなかったチンピラはフィリスの右ストレートを顔面にくらい、地面に倒れ伏す。
遅れて驚きの反応を示そうとしたスキンヘッドの男にフィリスは回し蹴りを食らわせ、吹き飛ばす。
バック宙で後ろに下がり、ワンピースの裾の部分を両手で裂く。
さながらチャイナドレスのようになったワンピースから、白く透き通った肌が見え隠れする。
回りの視線が否応なしに集中するのにもかかわらずフィリスは男たち目掛けて突っ込む。
あわてて鎖を振り回した皮ジャンの男の鼻っ柱にジャブを叩き込み、怯ませる。
その隙を突いて足を払い、転んだ男のみぞおちにかかと落しを盛大に食らわす。
胃の内容物まで吐き出しかねないほどの声を上げた後、男は沈黙する。
その様子を見ていた男の一人が仲間を見捨てて逃げ去ろうとする。
「逃がすか! このクズが!」
とんでもない助走のスピードとともに跳躍したフィリスは空中で一回転して男の前に出る。
急停止して進路を変えようとした男目掛けて渾身のラリアットが命中。
頭から落下した男の右腕を捕らえ、十字固めに持っていくフィリス。
「うぎゃぁぁぁあぁぁぁぁあああああっ!」
「まだまだ! この程度では終わらせんぞ!」
右腕を抑えて転がる男の首を掴み、キャメルクラッチをかけるフィリス。
運動不足で固まっている背骨が嫌な音を立てて曲げられる。
泡を吹いて気絶した男をその場に捨てて、フィリスは最後に残った男と向き合う。
最後に残った男はもう逃げ場が無いことを知っているのか、慌てることが無い。
落ち着きながらナイフを取り出し、フィリスの隙をうかがい始める。
しかし、フィリスは男が策を練る暇すら与えようとはしない。
女性とは思えぬ速さで男の鼻先にパンチを繰り出す。
男は他の連中より熟練しているのか、フィリスの拳を的確にかわす。
フィリスが攻撃をいったん止めた瞬間に男はナイフを持って切りかかる。
フィリスは男の手を手刀で払い、ナイフによる斬撃を防いでいく。
男が先ほどのフィリスと同じようにいったん引いた瞬間、
フィリスは男の懐に飛び込み、足を思い切りあげる。
その瞬間。 ワンピースの前の部分がめくれ、フィリスの下着があらわになる。
今日着てきたワンピースと同じ、白色のレースがついた下着が男の目に入る。
「ワォ、ラッキー!」
「戦いの最中に、別の事に気を………」
一瞬、己の性欲に負け、フィリスの下着に集中してしまった男。
悲しいかな、それが負けにつながるんだ、とはやては思った。
「取られるなッ!!」
天高く上げられた細く、しなやかな美脚が振り下ろされ、
男の脳髄に、気を失わせるほどの大打撃を与えた。
今度は泡ではなく、血を吐いて倒れる男、
その男が地面に倒れ伏し、フィリスが空手の型のようなポーズをとった瞬間、
周囲から、拍手と大歓声が巻き起こった。
「それにしても事情聴取って大変なんやなぁ」
夕暮れを背にしながら、はやては呟いた。
その背中にはどことなく哀愁が漂っているようにも見える。
「まさか一時間以上もかかるなんて思いませんでした」
「別にフィリスさんが悪い事したわけやあらへんのにな」
苦笑いを浮かべているフィリス。
一時間前と別人じゃないか、とはやては思う。
突然性格が豹変したフィリスがはやてに絡んできた不良を潰した直後、
やってきた警察に事情聴取のため連行されてしまった。
そしてそのまま一時間、交番に缶詰状態。
ようやく開放されたのがもう日暮れが始まっていたころ。
完全に予定を崩されてしまった、とはやてはこっそり後悔した。
「はやてさん」
「なんです?」
「私はうまくは言えませんけど、傍にいてあげるだけでいいんじゃないでしょうか。
ひかるさんは、物よりも、そういう暖かさの方が大切だと思ってますから」
「暖かさ………」
そうです、とフィリスは口に人差し指を当てる。
「あの人には、長い年月の末に氷結した心を融かす炎が必要なんです。
それがはやてさんや、なのはさん、フェイトさんみたいな心優しい人であればいいと思ってます」
「私みたいな………?」
はやては夕日を見ながらフィリスの言葉の意味を考える。
「でも、具体的に何すればええのやろ。 私にはわからへんよ」
「簡単です」
かんたん? とはやては聞き返す。
「いつもどおりに、甘えてあげればいいんです。 それだけで、十分だと思います」
微笑みながらはやてに答えを教えるフィリス。
そして、答えを知ったはやてはなんだ、という顔をした。
「せやったら、すぐにでも帰ってあげた方が………」
「そうですね、そのほうがいいと思います」
笑いながら顔を見合わせるはやてとフィリス。
次の瞬間、二人はリインとヴィータをおいて走り出す。
慌ててついてくる二人を尻目に全力疾走するはやて。
彼女の心は、吹き抜ける夕暮れの風と同じ、深い慈愛に満ちていた。