アスファルトでできた無機質な地面を蹴る音が、路地裏に響く。
その足音の主は二人、水色の服を着た少女と茶色の外套を纏った女性である。

彼女らは切迫した表情で、砂埃の臭いが漂う路地を走り抜けていく。
彼女らの恐怖の対象は、両側から威圧するビルではなく、追いかけてくる人でもない。
それの視点はすでに神の領域。 彼女らを見下ろし、見下せる位置でたたずむ。

その恐怖から逃れるために、ひたすらに彼女らは走り続ける。
薄汚い路地を抜け、通りを横切り、公園を走りぬけ、住宅街を通り過ぎる。
どこまで行こうとも逃れえぬ恐怖から、必死になって逃げようとする。

長い間走り続け、疲労が蓄積されている足はすでに限界、
気を抜けばすぐさま崩れ落ちそうな足を必死に動かして、走る。

そうして彼女らは往来の真ん中を突っ切り、大通りへと飛び出す。
昼の往来は見かけよりも人は多く、走るのには向いてはいない。
その中を掻き分けるようにして、少女が通り過ぎていく。

ふと少女が隣を見ると、今までそこにいたはずの女性の姿が消えてなくなっている。
自分の背丈より遥かに大きい人の城壁に囲まれ、少女はどうしようもなくなりその場で立ち止まる。
名前を呼べどもその声は届かず、その不安感に押しつぶされそうになったとき、




視界が、完全に開いた。




ほんの少し前まで大勢の人で埋め尽くされていたはずの往来が、一瞬にして無人になる。
携帯電話を使っていた会社員、ロングブーツの女子高生、買い物帰りの主婦たち、
先ほどまで自分の側にいたあらゆる人が、まるで最初からいなかったかのように姿を消している。

凛とした気配の中、生命の鼓動を感じられないほどに音が消えた世界。
その中で少女は、共に逃げてきた女性の名を叫び続ける。
ゴーストタウンに響き渡る少女の声。 しかしそれに答えるものはおらず、




代わりに響いてくるのは、耳をつんざく轟音。




少女がそれに気づいて上を見上げると、見えてくるのは紅に染まる空。
そして、その真ん中を突っ切って降り注いでくる無数の流星。

それらの一つ一つが、その辺りにある公園の敷地の大きさくらいあるだろうか、
五つもあれば市街地が粉々に吹き飛ぶくらいの質量と速度を持って、流星は降り注ぐ。

逃げ場は無い、そう確信した少女の足元に魔方陣が光り輝く。
黄色の閃光を放つ魔方陣が、転移用の魔方陣であることを少女は瞬時に理解する。
と同時にその魔法を使った者も、同じく転移を試みていることにも気づく。

魔法陣を見て覚えた感情は、安堵と恐怖、そして心配。
転移する際の奇妙な浮遊感にとらわれながら、少女は大きな声で女性の名を叫んだ。

そして、その叫びが届く前に大地は膨張し、白い閃光が辺りを覆いつくす。
流星が地面に着弾すると同時にアスファルトが巻き上げられ、散弾のごとくビルを抉る。
音速で射出されたソニックムーブが建物をなぎ倒し、パズルを崩すように地面を崩壊させる。

局地的に、なおかつ広範囲で巻き起こっていく破壊は、数秒で市街地を瓦礫の山に変える。
続けざまに降り注ぐ第二波が、瀕死の大地を奥底まで削り取っていく。

吹き飛ばされた瓦礫は竜巻に乗せられ、更なる破壊を天から大地に与える。
土砂が舞い上がり、暗くなった空から、砂鉄の弾丸が雨のように降り注いでくる。

そうして徹底的に、復活の兆しが見えなくなるまで壊れた街に、最後の一撃が堕ちてくる。
まばゆい閃光、地の果てまで響く轟音、吹き荒れる破壊の嵐、それら全てが収まったとき、




街は、元の喧騒を取り戻していた。




街を行く人も、林立しているビルの森も、澄み切った空も、全てがもとのまま。



そう、最初から何事も無かったかのように。




























私立聖祥大付属中学校一年B組では、帰りのホームルームが行われていた。
教室内には帰宅を急ぎたいのか、そわそわする生徒が教室の大半を占めている。
おそらく、今教卓の前にいる先生の話をまともに聞いている生徒はこの教室にはいないだろう。

そんな空気の中にあって、とある一部分だけが異質。
というよりは、あまりに優等生過ぎるだけだが。

「最後に、この近くで不審者が出ているとの情報です、登下校の際は十分に注意してください」

教卓に配る予定のプリントを並べて、担任の先生が教室に連絡をしている。
教室の中央の席に座っている炎髪の少年は、それを興味なさそうに聞いて、



「何が不審者だ、そんなもん十秒でこの世から消し去ってやるわ」



とまあ大胆にも、中学生が言うことではない言葉を小声で並べ立てた。
それを聞いた隣の席の少年が、思わず机に突っ伏して笑う。

炎髪の少年はそれを心底うっとうしそうに眺めてから、



「おい聖(ひじり)、俺が何かおかしい事言ったか?」



聖と呼ばれた少年は、笑いを納めつつ顔を上げる。
美少年と呼ぶには美少女的過ぎる顔が炎髪の少年の目に入る。

「いや、八神君なら本気でやりかねないから」

皮肉とも本気とも受け取れる言葉を聖は少年、八神ひかるに投げかける。
ひかるは冗談だよ、と一言こぼすとかばんを肩にかけ、立ち上がる。

「さて、帰るとしますか」

「そうだね」

「ちょっと待てぃ!」

教室を出て行こうとしたひかると聖の後ろから大声が響いてくる。
けだるそうに後ろを向いたひかるの視線の先にいるのは、茶髪の少年。

ひかるの隣にいる牧原聖(まきはらせい)と同じく、中性的な顔立ち、
つんつんの髪の毛に、どこまでもまっすぐな光を放つ黒色の瞳。

そして注目すべきはその大きな背丈、とはいっても百八十センチくらいだろうが。
だが、この時期の中学生の中では群を抜いているし、ひかるとは二十四センチの差がある。

「上から見下ろすな直情バカ。 それで、何の用だ」

「八神、俺は今掃除をしている」

それが? という感想を惜しげもなく表情と視線で披露するひかる。

「一緒に帰りたいからもう少し待ってろ」

「…………………………………」

ひかるは踵を返すと、流れるような速さで教室から出て行く。
それに二歩遅れて聖がその後を追いかけていく。

後ろから先ほどの少年、皇紅(すめらぎこう)の大声が聞こえるが気にしない。


気にしないったら気にしない。
































校門のところで、ある意味遭遇したくない人たちとであった。
八神ひかるは、そう心の中で思いながらも愛想笑いをする。

校門を抜けて家に帰ろうとしたひかるを、待ち構えていた五人が取り押さえたのだ。
それがつい十分ほど前の話。 そして今現在ひかるはその人たちに連行、もとい下校している。

ひかるを中心として、左側に三人、右側に三人ずつとバランスの取れた並び順。
左側に並ぶのはアリサ・バニングス、月村すずか、八神はやての三人。
右側に並ぶのは高町なのは、フェイト・T・ハラオウン、牧原聖の三人だ。

「頼む、はよ帰らせてーな」

「ダメ、あんたたちはいつも忙しいんだから、こういうときくらい楽しみなさいよ」

ひかるが手を合わせてアリサに懇願するが、全く相手にされず、
かく言うアリサは、すでに屋台でクレープをひとつ注文している。

「中学生が買い食いって良かったっけ?」

「気にする必要あらへんよ、誰でもやってることや」

だからってやっていいとは思わないけどなぁ、と一人で呟く聖。
その間にも、女性陣はクレープを続々と注文していく。

太るぞ………、とひかるが呟くが、呟いているがために誰にも聞こえないようだ。
半ば諦め、及びいじけモードに入ったひかるの隣になのはとフェイトが並ぶ。

「にゃはは、アリサちゃんがご迷惑おかけしてます………」

「ごめんね、アリサは私たちでも止められないんだ」

苦笑いを浮かべるなのはとフェイトを、恨めしげに見つめるひかる。

「そういえばフェイト、あんた買い物に付き合ってほしいんじゃなかったっけ?」

突然間に割って入ってきたアリサの言葉にひかるは首を傾げる。
同じく聖も首をかしげてフェイトのほうを見る。

「うん。 母さんへのプレゼント買いたいから………」

「だったら今日にでも行こうよ」

すずかがフェイトの手を引っ張るが、フェイトはなぜか逡巡している。
どうしたものか、とひかるが傍観者に徹していると、隣から声がかけられる。

「お兄ちゃん。 そろそろ帰らへんと晩御飯の支度が………」

「おーけー、じゃあこっそりと………」

はやてとひかるは隠密の如き足取りでその場から急いで立ち去る。
小声でさようなら、とは言ってはおいたが、聞こえているのかはすごく怪しい。

「ねえ、ひかるとはやては………」

当然、フェイトが本当に誘いたかった人に声をかけることはできず、
ひかるとはやてがいた場所にはさびしいつむじ風が吹いていた。




































「だ〜か〜ら〜ぁ、誘いたかったんなら最初から誘えばよかったじゃないのっ!」

アリサが半ばうんざりした表情で叫ぶ。

「フェイトちゃん奥手だからしょうがないんじゃないかな」

「まだ隣にいるだけで緊張しちゃうんだもんね〜」

あっけらかんと話すなのはに、にこやかな雰囲気のすずか。
そして当の本人はというと、四人の真ん中で赤くなって縮こまっている。

「でもさあ、なんでフェイトはひかるのことが好きになったわけ?」

アリサが唐突に、当然のようにフェイトに質問する。

「あ、それ私も聞きたーい♪」

「私も少し気になるなぁ。 フェイトちゃん、話してくれる?」

三人に路上で問い詰められ、答えに窮するフェイト。
しかし、にこやかななのはとすずかの無言の圧力に負け、少しずつ語りだす。

「最初にあったときにね、その、なんとなくだけど気にはなってたんだ」

その言葉を聞いたアリサ、すずか、なのはの口からへぇ〜、という言葉が漏れる。

「最初のころは、ただ単純に理由がありそうだから、って思ってたんだけど、実は違ってたのかな。
 あのころから捕まえるべき対象、じゃなくって、助けなきゃいけない人、って思ってたんだと思う」

「結局、助けられたの私たちのほうだけどね」

それは否定できないよね、とフェイトが答える。

「で? 本当のきっかけになったのはいつ、どのようなときなの?」

なぜか日本語の基本文型にのっとった形で質問するアリサ。
基本的に頬を赤く染めているフェイトは、少しの沈黙の後、答えを出す。

「………前に、助けてもらったとき」

「それって、"存在がなくなるロストロギア"が暴走した事件のこと?」

「なによ、それ」

「皆の記憶から、ある特定の人のことだけを完全に消し去ることのできるロストロギアがあったの。
 それの能力がすごく強くてね。 私も一時的にだけどフェイトちゃんのこと忘れてたの」

「げっ、それじゃあたしたちも誰かのこと忘れてたんだ」

「それは悪いことしちゃったね」

のほほんと言う言葉ではないと思う、とすずかを除く三人が思った。

「そのとき私はね、洗脳されてたんだ。 そして、ひかるのことを自分の手で傷つけた」

フェイトの出した言霊の破壊力に、その場が一瞬で冷め切ってしまう。
しかし、そのことを乗り越えてきたフェイトは、言葉を続ける。

「そのときにね、ひかるは私のこと助けてくれたんだ。 最初から最後まで、誰も傷つけないように。
 周りへの被害も、私や、聖へのダメージも、全てが全く無かったんだよ」

すごいことだよね、とフェイトは潤ませた涙腺を指でぬぐう。

「そのときに、ひかるは言ってくれたんだ。 私のことを、一人の人間だって」

フェイトの瞳から、感動の雫が一粒流れ落ちる。

「そう言ってもらえた時、すごく嬉しかった。 私は、ずっとそのことを引け目に感じていたから、
 普通の人とは違う生まれ方をしてきたことが、ずっと心のどこかで私を悩ませてきたから」

本来であればあの時、フェイトの意識は完全に無かったはずだ。
それでも、ひかるが純粋にフェイトのことを思った言葉は届いた。

「自分では良く覚えてないんだよ。 でも、すごく嬉しかったことは覚えてる、すごく心に響いたことは覚えてる。
  どれだけ傷ついても、どれだけ打ちのめされても、絶対にひかるは諦めなかった。 すごく、格好よかった」

「それで頬赤らめながらその姿見ててぽーっとしてたわけだ」

からかうようなアリサにそんなことはないよ、と心底真面目に返すフェイト。

「ただ、最後に意識が途切れて、その後にひかるとあったときに、その、胸がどきどきして………」

「緊張しちゃって、上手く話せなかったんだ」

「あ、後で母さんに聞いたらね、それ多分恋してるからね、って言われて………」

「それからずっと意識し続けてきたわけ?」

先ほどとはうってかわって、顔を真っ赤にしながらうなずくフェイト。
恋する乙女の典型的症状を目の当たりにした三人は、深くため息をつく。

「これは完全な重症ね。 もう治す方法はひとつしかないかも」

「でも、それ実行しちゃうともっと症状進行しちゃうかもよ?」

腕組みをしてうなるアリサと、裏を読んだ突っ込みを入れるすずか。
フェイトは何がなんだか分からない顔で二人を見ている。

「えっと……、治す方法って?」

「バカねー、こういう場合の処置は、"さっさと告白しなさい"ってことよ」

数秒の間、フェイトの思考が空白になる。
そしてさらに数秒後、フェイトは顔を真っ赤にしてうつむいてしまう。

「ダメね、これじゃ」

あきれたアリサが通りを曲がろうとしたとき、不意に誰かが飛び出した。
飛び出してきた少女―――声で判断した―――はアリサとぶつかり、道路に倒れこむ。

水色のワンピースを着ている少女の顔を、うつむいていたフェイトは直視していなかった。
その代わり、立っていたなのはとすずか、そしてぶつかって尻餅をついたアリサは少女の顔を見た。

細く柔軟な繊維を、一本一本より合わせたかのようなきれいな金色の髪、
年相応の無邪気さにあふれている赤みがかった瞳は、曇りの無い世界を映し出している。
体形は痩躯、しかしほっそりとした腰周りや、成長途中の胸部は十分に女性らしい。

まだあどけなさの残る少女は、頭をさすりながら起き上がって、そして戦慄する。
突き飛ばされるように動いた少女は、うつむいているフェイトの手を握り締める。
そしてそれに反応したフェイトが顔を上げる前に、少女は喉から空気を搾り出す。



「お願いフェイト――――――――――」



かすれるような、それでいてしっかりと聞こえる音が、フェイトの耳に届く。





「――――――――――リニスを助けて!」













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