近未来的な光の宿る、壁が真っ白な病室の中の、ひとつのベッド。

その中でふわりとした感触にうずもれて、彼は現実と夢の中でまどろんでいる。

 

彼の左手と額の部分に包帯が巻かれ、傷を隠している。

昨日怪我したのにもう治りかけている部分もあるらしい。

医者は回復力が異常だと言っていたが、彼にとってはそれが普通なのだと彼女は思う。

 

いつもいつも、任務に出て行くたびに無茶なことをして、挙句の果てに病院送りになったことなど何回もある。

だからと言って心配しないわけではないが、というよりは心配しかできないのだが、

それでも、彼の顔を見ているとそんな心配なんかしなくて良い気分になってくる。

 

あどけない、十二歳の少年の寝顔。

すうすうと寝息を立てる彼の寝顔は安心しきったものだ。

いつもあれだけ険しくしている顔が嘘のように。

 

そんな彼の寝顔をベッドに腰掛けながら優しく見つめるはやて。

昨日いきなり兄が病院に担ぎ込まれたと聞いたときには相当驚いた。

学校が終わった後家に帰ってこないので心配していたらこれだ。

 

今回はどんないじめられっ子のために立ち上がったのか、

はたまた薄幸少女の為に何者かと戦ってきたのか。

実は自分も薄幸少女なのになぁ、とはやては思う。

 

「それにしても、本当においたが好きなんやなぁ………」

 

左手を頬に当てながら、右手でひかるの額をなでる。

まるで母親が子供の寝顔を見て安らいでいるように。

 

はやてに撫でられるたび、ひかるは少し首を動かす。

寝かしつけられている子供のように、すごく無邪気なまま。

 

はやてはそんなひかるを見てふう、と息を漏らす。

 

 

「でも、そろそろ起きてもええんとちゃう?」

 

 

そういうとはやてはひかるに顔を近づける。

額と額が触れ合うほどの距離に二人が迫っていく。

 

薄く開かれた唇から漏れてくる吐息がはやての口にかかる。

湿っぽい、しかしほのかに暖かい吐息にうっとりとする疾風。

そのまま、自分たちの血のつながりも忘れてひかるに見入ってしまう。

 

多分そのままの状態がもう少し続いたなら、はやては何かしらの行動を起こしていただろう。

しかし、そこにもやっぱり理性というものは働くもので、後一歩のところではやては踏みとどまった。

 

「きょ、兄妹やもんな。 ま、間違ったらあかんよ、間違ったら」

 

そう言って、少し名残惜しそうに顔を離すはやて。

このとき彼女は自分がひかるとは他人だったらよかったのに、と思っていた。

 

そうして顔を離した後、近くのテーブルにあったコップに水をいれ、飲み干す。

一息ついたあと、はやてはもう一度ベッドに腰掛ける。

 

相変わらず規則正しく寝息を立てているひかる。

そして、相変わらず起きる気配が無いように見える。

 

「………本当に起きへんとちゃう?」

 

もう一度ひかるに顔を近づけようとするはやて。

しかし、それよりもやってみたいことがあったのでそれをやることにした。

 

はやてはひかるの睫毛を指でちょいちょいといじくる。

この前テレビでやっていたことなのだが、こうすると眠っている人は起きるらしい。

理由はよくわからないが、起きたあとにあまり機嫌が良くないのも特徴である。

 

なかなか起きないひかるの睫毛をいじるはやて。

そのうち、ひかるの口から声が漏れてくる。

 

「ん………、うみゅう……、………ふぇ?」

 

意識がはっきりしていないのか、ひかるは目を開けようとはしない。

ただ自分がされていることに嫌悪感があるのか、首を振るように動かしたりしている。

 

そうしているうちにひかるがゆっくりと目を開ける。

ゆっくりと開かれた眼はいつもどおり、透き通った蒼色の瞳。

ただ、寝起きのせいか少し焦点が定まってない感じに見える。

 

ひかるはゆっくりと体を起こしてから、半開きにした目ではやてを見る。

視認はできているのだろうが、頭がそれに追いついてはいないようだ。

現に、ひかるははやてのことを見ても、寝ぼけているままだ。

 

「おはようさん、よく眠れた?」

 

「……うん、おはよう、はやて」

 

頭をがしがしと掻きながら欠伸を一つするひかる。

焦点の定まらない目つきで部屋の中を一回見回す。

 

「………ここ、病院?」

 

「そやで、昨日無茶して運ばれてきたんよ」

 

そう言いながらはやてはコップに水を注いでくる。

 

「はい、お水。 昨日から何も飲んでないんやから、飲んどいたほうがええで」

 

「ありがとう、そしていただきます」

 

ひかるは渡された水を一気に飲み干す。

そうしてからベッドを降りて、壁にかけてある制服の上を羽織る。

 

「あれ? お兄ちゃんどこ行くん?」

 

はやてに呼び止められて、ひかるは一回後ろを向く。

 

 

「友達のところ」

 

 

寝ぼけた顔でそれだけ言うと、ひかるは病室を出て行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

どこの世界でも病院と言うものは白いのかな、と彼は思った。

彼が寝かされているベッドの右手には窓がついていて、そこから日が差し込んでいる。

左手を見ると、近くにテーブルのようなものが置いてあって、そこに水差しが置いてある。

 

部屋の天井には照明が数個ついていて、かなりの明るさを誇っている。

入り口らしき扉から、話し声のような音が聞こえてきたりする。

 

彼は気だるさの残る体を少し動かして窓の外を見る。

ゆっくりと部屋に入ってくる日差しに彼は目を細める。

 

まぶしい太陽を見て彼は自分のしたことを思い出す。

新しい世界を求めて、闇の世界に落ちかけていた彼を、

彼の友人は、全力で光の世界まで引きずり出してきた。

 

自分の体が傷つこうが、他人が利用されようが、

そんなことおかまい無しに、全部取り戻すといっているかのように。

 

そして友人はその誓いの通りに全部取り戻して帰ってきた。

闇に引きずり込まれるはずだった彼も含めて。

 

「…………………………………」

 

彼が自分は何がしたかったのかを考え始めたとき、入り口のドアが開いた。

規則正しい足音とともに誰かが彼の病室に入ってくる。

 

しかし彼はそれが誰であっても良いような感じでベッドに横になる。

ふわりと、洗剤の香りが彼の鼻腔を刺激する。

 

「おはよう、よく眠れた?」

 

「うん、十分すぎるくらいに」

 

それは良かった、と言ってひかるはベッドの近くに椅子に座る。

 

「ねえ」

 

「ん?」

 

横になり、布団をかけた状態で聖は言う。

 

 

「ごめんね。酷いこと言って」

 

 

ひかるは一瞬むっとした顔をして、

次にはきょとんとしたような顔になって、

最後にいつもより安心しているような表情になった。

 

「気にしてた、とか?」

 

「それは少しひどいと思うけど」

 

「大丈夫だって、言われ慣れてるさ」

 

白い歯を見せて笑うひかる。

 

「いつだって自分が他と違うことくらいわかってる、だからあんまり気にする必要は無いっての」

 

少し軽口叩いたくらいなものだって、とひかるは言う。

 

「本当にそう考えられたらどれだけ楽なんだろうね」

 

「そう考えられるように努力するしかないんじゃない?」

 

「君ほど達観できればどれだけ楽なんだろう………」

 

でもそれは無理だろう、と聖は思う。

ひかるとは、積み重ねてきた年月が違いすぎる。

 

(それでも、いつか)

 

聖は布団の中にある拳を握り締める。

伸ばしていた爪が食い込む痛みを気にせずに。

 

そんな聖の心情を知るはずも無いひかるはコップに水を注ぐ。

ひかるが水を一気に飲み干した後、聖は話を切り出した。

 

「あのさ、僕、色々と検査されたんだよね」

 

「俺もされたよ、ここに始めてきたときに」

 

あれって面倒じゃなかった? とひかるは聖に聞いてくる。

 

「大分面倒だったよ。 でも、それでわかったこともあるし」

 

「あれにどうやって乗っ取られたとか?」

 

「それも、あったね」

 

聖が表情を陰らせたことを敏感に察知したのか、ひかるも表情を暗くする。

それに対して、聖はできる限り笑顔に表情を近づけて話を続ける。

 

「それはまあどうでもいいことにされてるし、気にはしてないからいいんだけど。

 問題はさ、何で僕にあいつがとりつけたかって話なんだって」

 

「単に魔力資質が………、あ」

 

ひかるが面食らったような表情になるのを見て微笑む聖。

 

 

「そう、僕も魔道師になれるんだって、それも高ランクの」

 

 

聖の言葉を無言で聞くひかる。

ひかるの顔が笑顔に近いものになっているのを見て、安心して聖は続ける。

 

「僕の魔力ランク、AA+なんだって。これってエースクラスに近い魔力量なんだってさ」

 

それでね、と聖は一回言葉を切る。

 

「僕、時空管理局に入隊しないかって誘われてるんだ」

 

途端にひかるの表情が変わる。

相手を気遣う表情から驚きの表情へと。

わかりやすいくらいの反応に聖は内心喜ぶ。

 

「………本気?」

 

「うん、本気」

 

「試験辛いよ」

 

「覚悟の上」

  

「実際、ここの上層部は頭腐ってるぞ」

 

「大体わかってるよ、こんな子供も使おうとするくらいだしね」

 

聖の言葉を聞いて、ひかるの表情が明らかに悪くなっていく。

 

「じゃあなんで………!」

 

そんなところにわざわざお前が関わるんだ。

二の句を告げるとしたらこうだろうな、と聖は予想した。

 

実際ひかるに言われたことは大体わかっていることだった。

それでも、そうだとしても聖には管理局に入る理由があった。

 

伝えたい、自分の目標が、そこにいるんだから。

だから聖は告げる、告げようとする。

 

でも上手く言葉は出てはこない、上手に言葉をまとめられない。

文章にしてしまったら破綻してしまいそうで、それでいて言葉にして欲しいと叫んでいる。

矛盾だらけのこの感情と言葉が、聖の口から今にも溢れ出しそうになっている。

 

だから聖は一度深呼吸をして、"自然な自分"に言葉を任せてみた。

 

「八神君」

 

「なに?」

 

「なんで僕がって言ったよね」

 

「……………………」

 

聖は一呼吸置いてから、素の自分にすべてを託して、言った。

 

 

 

「それは多分僕が八神君みたいになりたいからなんだと思う」

 

 

 

最初ひかるは聖の言葉にただ呆然としているだけのように見えた。

しかしすぐにひかるは元の表情を取り戻す。

半分笑っていて、半分憂いているような微妙な表情を。

 

「俺みたいになったらさ、ものすごく人生つまんないぞ」

 

「それは無いと思うな」

 

ひかるが絞りだした自嘲めいた台詞を聖は否定する。

そして、その理由をしっかりとひかるに伝える。

 

 

 

「だって今の八神君、とっても楽しそうだもん」

 

 

 

今度こそ本当にきょとんとしてしまったひかるを見て聖は微笑む。

聖の言葉を意味をひかるが完全に理解するまでには少し時間がいるかもしれない。

 

それでも、聖は自分の伝えたかったことをきちんと伝えた。

それが、聖の心に達成感と安心感をもたらしていた。

 

 

(今は無理かもしれない。 それでもいつか必ず)

 

 

君に追いついてみせる、聖は心の中でそう誓った。

 

窓から注がれる日光が二人の少年を優しく照らす。

闇に生き、闇しか知ることの無かった少年と、

光に生まれ、闇と交わった少年。

 

 

 

そんな二人が見上げる空は、どこまでも青く、広大な空だった………

 

 

 




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