終章、『魔王』と呼ばれる『神様』
『………昨日、第十八学区で研究所が爆発。 内部にいた数十名が病院に搬送。
研究所自体も閉鎖に追い込まれた。 なお、この研究所の内部から禁止薬品が発見された。
警備員(アンチスキル)は心神喪失状態の研究所主任、催馬楽十郎から事情を聞くとともに、
この研究所の関連施設を洗い、家宅捜索をする方針を固めた。
なお、この薬品は最近話題となっていた…………………』
新聞から目を離した後。ふう、と啓吾は溜息をついて、
「死人が出なくてよかった〜」
と胸をなでおろした。
『何がよかったんだか、結局あそこは壊滅。 路頭に迷った研究者が何人いることやら』
『それも自業自得というものです。 だから啓吾が心配する必要はないですよ』
『この過保護』
『なんですか、この捻くれもの!』
うぬぬぬぬ、いがみ合う二人を啓吾は必死の思いでなだめる。
というか、喧嘩されると頭が痛くなってしょうがない。
「さて、最後の目的を果たしにでも行きますか」
藤坂啓吾はカバンを肩にかけて電車に乗り込む。
行く先は、『不幸』な兄妹の部屋。
「不幸なんかで終わらせやしねぇ、………ちゃんとした、日常に戻すんだ」
決意の言葉を胸に、彼はホームへ降り立った。
宮端孝弘(みやつまたかひろ)は部屋の中で一人、頭を抱え、うずくまっていた。
その部屋の中においてあるベッドからは苦しそうな声が聞こえてくる。
その声を聞くたびに、彼は自責の念に駆られる。
自分では、大切な人を救えない。
自分では、大切な人を守れない。
自分では、誰かを助けることさえままならない。
そんな重圧が彼の心を押しつぶしていく。
もともとは、小さな願いだった。
腐食という能力に体を浸食された妹を、ただ救いたかったというだけの話。
でも、この世界は不条理で、どこの誰に助けを求めても、誰にも救ってもらえなくて。
どれだけのことをしようとも、結果はまったくでなかった。
そんな不条理の中、
ただ一人の人を助けたいと願った少年は、
この世のすべてから見放され、
それでも何とか活路を見出そうとして、
最悪の結末を迎えかけているという話。
少年はもう、すべてを諦めている。
しかし、現実はいつだって不条理だ。
現にこの少年は、
まだ最悪の結末を迎えてはいないのだから。
酷く朦朧とした意識の中で宮端昴(みやつますばる)は思った。
なぜ、自分の兄が、こんなにも苦しまねばならないのだろう。
別に彼は悪くはない、ただの、妹思いの優しい兄である。
それなのに、どうして彼は絶望を背負うのだろう。
どうして彼は、苦しみと戦っているのだろう。
どうして彼は、こんな姿になっている妹のことを、見捨てたりしないのだろう。
だからこそ彼は苦しみを背負う。
それが自分のせいならば、
それは嫌だなと、宮端昴は心の中で思った。
そんなくだらないことで、大切な人が悲しむのは、
それは本当に嫌だなと、再度思った。
暗くなった室内で孝弘は身辺の整理を始めていた。
はっきり言って、昴の病状は最悪な状況だ。
最早、死を覚悟しなければならないレベルにまで達しているといってもいい。
それなのに、いつまで経っても覚悟ができなかった。
昴と別れるという覚悟が。
心の中では納得を始めている、
でも、表面上は未だに納得できなくて、
なおかつ、自分の本心は、
理屈なんかじゃない、と駄々をこねていたから。
でもそんな気持ちにも、いつかはけりをつけなきゃならない。
だから彼はそっと昴が寝ているベッドに近づいて、
一言だけ、耳元でささやいた。
それと同時だったかは定かではない。
孝弘はふと、誰かの気配を感じ取って、
振り返ってみるとそこには、
一人の、『神様』が立っていた。
「情けない面しやがって、一体どこの誰にやられたんだか」
そう言って少年は笑った。
多分これ以上ない、友人に向ける笑顔で。
「お、お前…………………」
「打つ手が無くって途方にでもくれてたか? だったら安心しろよ」
一歩、また一歩と確実に近づいてくる少年を見て、宮端孝弘は、どんな表情をしていたのだろう。
それを知っているのは、恐らくこの少年だけで、
だからこそこの少年は手を差し伸べる。
『不幸』ですべてを片付けたくないから。
「………もしも、お前の目の前にいるのが、神様だったら。 お前は何を望むんだ?宮端孝弘」
「え…………………?」
宮端は、一瞬だけ、自分の耳を、五感を本気で疑った。
"神様"が告げた言葉は、信じられないほど、"幸運"な言葉だったから。
「もしも俺が神様だったら、お前はどうする?」
宮端は、逡巡してから、ひとつだけ、答えを出した。
その答えは、彼にとってのハッピーエンド。
そして、これから続く人生への、ようやく始まったスタートライン。
「妹を、昴を助けてください!」
それを聞いた少年は、最高に無敵で不敵な笑みを浮かべた。
まるで、願い事が叶った子供みたいな、無邪気な笑みを。
少年が、ベッドの中の昴に近づく。
彼は昴の額に触れた後、何かを呟いた。
そして、一筋の光が走った後。
「ん……、お兄ちゃん………?」
宮端昴はベッドからゆっくりと体を起こした。
その四肢には、肉体には、腐食の傷跡なんて、一つも残ってなかった。
「すば………る………」
ある意味での再開を祝して抱き合う兄弟を見て、啓吾は少しだけ笑った。
その笑みは、何の変哲もない笑みだったのかもしれない。
でも、彼にとって、その笑みは何物にも変えがたい笑みであった。
だから彼は、そうっと部屋を抜け出した。
自分の役目はこれで終わりなのだと、
そう、確信することができたのだから。