第四章、神様が迎える終着点
酷く、まぶしかった。
この世のすべてが、まぶしくて、仕方が無かった。
でも、僕は暗いのだろうか。
あの人たちは皆、明るい世界に飛び立っているのに。
僕は地面の奥底で這いずり回っているだけ。
なぜ?
催馬楽十郎は横倒しになりながら、ふと何かを思い出していた。
それは、過去の記憶だったのかもしれないし、
まったく関係のない戯言だったのかもしれない。
しかし、
『………いやだ……』
横倒しになった状態で催馬楽は思う。
泥まみれの食物、汚い新聞紙にくるまれた死体。
いつかはああなるのだろうか、それだけを考えて暮らしていた日々。
絶望と恐怖と焦燥と、汚すぎる都市の深部に彩られた世界。
『あの世界を見るなんて、もう嫌だ!』
そう思った瞬間、
世界は、爆炎とともに砕け散った。
「ッ!」
藤坂啓吾は爆発によって落ちてくる破片を避けて、
見た。
催馬楽十郎と名乗る研究者が、
狂った笑みを浮かべて立っているのを。
「………………こいつっ!」
啓吾は右手を握り締めて駆け出す。
その間に催馬楽は壁を粉砕していく。
啓吾は飛んでくる破片を最小の動きでかわしながら目標めがけて突っ込む。
催馬楽は啓吾を狂った目玉で捕らえながら、ひたすらに笑うのみ。
両者の距離がゼロまで詰まったとき、
藤坂啓吾の、最大級の鉄拳が催馬楽十郎の右頬に突き刺さった。
もんどりうって地面に倒れこむ催馬楽の上にのしかかろうとした啓吾は、
次の瞬間、またも爆炎によって吹き飛ばされ、
起き上がってきた催馬楽の火炎をかわして柱の陰に隠れた。
一瞬の静寂。
しかしそれをも、
憎しみの炎は吹き飛ばす。
「ッ!今度は上かよ!」
上から雨のように降ってくる破片から体を守るようにして啓吾はその場から逃げる。
続けざまにやって来る炎を右手で無力化し、床を崩して体勢を崩そうとする、
だが、そんな小細工が通用するほど、催馬楽は甘くなかった。
床の亀裂を一歩で飛び越え、両手からあらん限りの炎を発し、
その顔は狂気にゆがみ、啓吾に、その炎を叩きつける。
爆炎とともに研究所の壁がぶっ飛ぶ。
その爆発に乗じて脱出した啓吾はドラム缶の影に隠れる。
「っくそ、あのヤローしぶといな………」
呼吸は思った以上に浅く、酸素が入ってこない。
急激な運動による体への負荷、
突然の反撃による恐怖や、戦闘前の緊張。
それらすべてが疲労となって啓吾に襲い掛かる。
不意打ちによって負ってしまった火傷は程度が浅いものの、
範囲は意外と広く、体を動かす支障になっていた。
『けど、まだやれる』
啓吾は一本一本指を動かしてみる。
幸い動きになんら支障はない、
右足、左足ともに思った以上に動く、
これなら、大丈夫だ。
「さーて、何の能力も持たないレベル0様の、
一世一代の大勝負、見てもらいますかね」
ドラム缶を蹴飛ばして、ぶちのめすべき相手の真ん前へ出る。
爆炎と炎に彩られた戦場へ、自らの足で、そこに赴く。
そのことに、ためらいなど、一切無かった。
対峙するは二人、
距離はたかだか数メートル。
発火能力者にとってそれは距離とは呼べないし、
ケンカ慣れした高校生にとっても、距離とは呼べなかった。
「………決着、つけるか」
「ああいいぜ、てめぇの死という決着でなァ!」
距離は、一瞬にして詰まった。
しかし、前述した通り、催馬楽にとってこの距離はゼロに等しく、
啓吾にとっても、たかだか一、二歩という物だった。
だが、その考え方の違いが、
大きな、差を生む。
「!」
燃え盛る紅蓮の業火、紅に染まる、天壌からの炎。
その形容がふさわしいほど、催馬楽の炎は鮮やかであった。
距離にして六メートル。
しかし、藤坂啓吾はそこから先へは進めない。
周りを取り巻く炎の壁は高さが二メートルをゆうに越している。
常人の脚力では、飛び越す前に焼き尽くされるのが落ちだ。
『私の力を、使えばいいのでは? というか何で使わないんですか!?』
『ああごめん、忘れてた』
このような劣勢にたたされようとも、藤坂啓吾という人間は変わらない。
このことが、戦場においてはもっとも意味のあることだったりする。
『くっ………まあいいでしょう、替わりますよ』
人格の変更。 体の所有権の交換。
これが、ある意味藤坂啓吾という人間が持つ、力なのかもしれない。
「さて………。炎、ですか。簡単ですね」
彼女はゆっくりと手を炎に近づける。
普通ならその腕は触れた途端に消し飛んでしまうはずなのに、
彼女の力は、その『絶対』すらも粉砕する。
「!?」
ゴウッ、という音とともに炎が散る。
中から現れた少年は傷一つない姿でその場に立っている。
それを見て、催馬楽十郎という男の中で何かが弾けた。
「ああああああああああああああ!!!」
「この人…………!」
人格の欠落。
その時すでに、催馬楽十郎という『人間』は、
獰猛な『動物』にへと、姿を変えた。
「哀れですね………」
『いってる場合か!? さっさとしとめねーと大変なことになるんじゃね―のか!?』
「そうでしたね」
彼女は立つ、
哀れな畜生に姿を変えた、哀れな、男の前へ。
「グルァァァアアアアア!!!!!」
元は催馬楽と呼ばれていた男は、闇の世界に放置され、
自分の居場所が欲しくて、光のある人間を憎み、非合法の世界にその身を染めた。
しかし、そんな彼も、ある人間の手によって裁かれる。
文字通り、神の名を持つ少年によって。
「貴方に、来世での救いがあらんことを」
その言葉と同時に、
催馬楽十郎は、"この世から消えた"
「さて、後は…………えと、何するんだっけ」
『その辺はあとで考えよ―ぜ、腹減った』
ここは学園都市の市営鉄道。
啓吾はここから二駅乗ったところにある学生寮に住んでいる。
「本当に、これでよかったのかな」
『何でだよ』
「いや、ただなんとなく」
ホームに流れるアナウンスを聞きながら、藤坂啓吾はぼんやりと考え事をしていた。
『なぜ、あの程度の怪我で済んだのだろう』
火傷はほぼ治りかけで、今は多少の痛みすらない。
『なぜ、俺はこんなことをしたんだろう』
スピーカーからは列車の到着時刻が放送されている。
『何で俺は、あのメールのこと鵜呑みにして、あの二人のために立ち上がったんだろう』
混雑してきたホームの中で、一人静かに席を立ち、
『そして俺は、何でこの街にいる………?』
乗車口に近づいて、列車に乗り込んだ。
「でも」
わからないなら、わからないままでいい。
知らないなら、知らないままでもいい。
過去は、繰り返すことができなくて、
未来は、まったく予測のつかないものなら。
せめてこの瞬間選んだことは正しいんだと、
思い返してみても、先のことを考えてみても。
後で誇れるようにと、そう願って。
「なあ、二人とも」
『『何?』』
「今日のご飯、外食にすっか」
『『賛成!』』
そうして藤坂啓吾は、
帰りの列車の中で、眠りについた。