第三章、神様の考えること





藤坂啓吾が宮端孝弘と別れてから約一時間後。

藤坂啓吾は路地裏でため息をついていた。

 

彼の手にはカプセルのような物が何個か入ったビンがある。

普通に薬局で売られている風邪薬と同じような形をしていて、

色は薄緑、大きさは約一センチにも満たない小さなカプセルがビンの中に並んでいる。

 

「本当にこんな薬でレベル5の超能力者になれるのかねぇ………」


彼は薬を見ながら独り言を呟く。

 

宮端孝弘が始めた割のいいバイトの正体、

それは、学園都市で使用されている開発用の薬よりもはるかに強力な、

毒薬の部類にも入るほどの強烈な開発薬を運搬することだった。

 

服用すれば短期間でもレベルが1上がる、というキャッチフレーズを元に、

今、学園都市内の裏の世界で売られている代物だった。

 

噂では学園都市上層部もやっきになって売人達を裁こうとしているらしいが、

売人達はあの手この手で警備員(アンチスキル)の目から逃れているらしい。

そのため今ではこの薬の犠牲者が、主に町の不良どもから出ている、とのことだった。

 

啓吾はその気持ちがわからないでもなかった。

どんなにがんばってもあんたはスプーン一つ曲げるので精一杯です、と宣告されて、

力が足りないのでどこにも受け入れてもらえなくて、仕方なしに、不良にならざるをえなかった。


いや、自ら進んでなった奴も中にはいるんだろうけど、

それでも、『自分に能力があったら』と、思わなかったと言えるのだろうか。

それでも、最初っからダメだったのだと、言い訳をしなかった奴がいるのだろうか。

すべてを人のせいにした奴が、本当にいたんだろうか。

 

恵まれている自分には、彼らの気持ちはわからない。

でも、自分だってレベル0認定の公式上の無能力者だ。

『能力』の大切さは、そいつらと同じくらいによくわかる。

 

お前にはものすごい能力が備わっていると、誰かが啓吾を見て言うかもしれない。

でも、その能力は啓吾ではない別の二人が持っていて、啓吾自身は何のとりえも無い無能力者なのだから、


だから彼は、人一倍努力する。

超能力が無いことを、ハンデとして背負いたくないから。

 

「それにしても、あいつの妹さん、治すのに骨がいるなー」

 

宮端孝弘の妹、宮端昴は二人が住んでいるマンションの近くの学校に通っている。

二人暮しだと学費もバカにならない、ということでそこにしたそうだ。

 

ちなみに宮端孝弘は強能力(レベル3)のテレパシー能力者だ。

啓吾が彼の部屋を尋ねたときの声はコレのことである。

 

そして、彼の妹、宮端昴は大能力者。 能力の内容は、『腐食』、文字通り物を腐らせる能力だ。

この能力の事を聞いたとき、啓吾は思わず驚愕してしまった。

なぜなら、啓吾が知る中でそんな能力者は一人もいないからだ。

この能力の特徴は、ある程度の範囲内であれば、触れずに物を腐らせる、という点だ。


コレがもし自由に扱えるというならば、宮端昴は学園都市内でも7人しかいない超能力者、

その中に新たに名を連ねることになる。

だが、その代わりの代償はものすごく大きかった。

 

原因不明の奇病が、彼女の体を蝕み始めた。

最初の頃は痣程度の物だったそうなのだが、それがどんどん悪化、

現在では左半身をやられてしまい、まともに立つこともできない状態になっている。

 

どの医者にかかろうとも結果は同じ、治る見込みはまったく無い。

そこで宮端はこう考えた、大能力者だから、能力の制御ができてないのだと、

もしも超能力者(レベル5)になれれば、もしも腐食という能力を完全に制御できれば。
妹の、宮端昴の原因不明の病気は治る、そう考えた。

しかし、そのためには絶大な苦労を要する、対象はもちろん、宮端昴。
そこで兄である宮端孝弘は考えた、妹にこれ以上負担を背負わせないために。
裏で取引されている、能力上昇のための薬物を手に入れ、使用する。

啓吾が宮端と始めて出会ったときは、薬物を管理している男たちから逃げているところだったのだ。
世界で一番大切なもののために、懸命になっている瞬間だったのだ。

だとしたら、藤坂啓吾のとる行動はひとつ。
彼は、こういう瞬間を退屈な日々の中で求めていたのだから。

「さて、まずはこのバカな薬を作った夢見心地のドアホをどうにかしますか」

 

藤坂啓吾は歩き出す。

目指す場所は学園都市第一〇学区。

つぶすべき標的は、そこの研究所で甘い汁を吸っているはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

午後八時三十七分、とある研究所の前。

藤坂啓吾はその前に立っていた。

 

入り口であるドアに設置された監視カメラが彼の姿を捕らえるが彼はまったく気にしない。

別に、映ってもまったくと言っていいほど問題は無いからだ。

藤坂啓吾の考え、それは、

 

「全員ボコボコにしてやる」


ただ、それだけだった。

 

 

 

 

 



 

大音響とともに銃が乱射される。

しかし、その弾は標的には着弾しない。

標的であるその少年はまるで何事もないかのように前進してくる。

 

恐怖に駆られた男の一人が鉄パイプを掴んで走り出す。

奇声とともに男は少年の頭めがけて力いっぱい鉄パイプを振り下ろす。

本来ならその一撃で少年の頭はかち割られる、

 

しかし、予想に反して鉄パイプがまるで紙屑のようにへし折れる。

唖然とする男の頭を掴んで少年は一言何かを言う。

それとほぼ同時に男が意識を失い倒れる。

それを見た仲間達が恐れを抱いてその場から逃げ去っていく。

しかし、この少年が、それを見逃すはずは無かった。

 

「悪いですけど……………」

 

少し高めの、女性のような綺麗な声で彼女は言う。

 

「誰一人として、逃がす気はありませんよ」

 

その言葉と同時に、彼女は思い切り、地面を蹴った。

逃げようとする男達よりも数段速い速度で距離を詰める。

逃げ遅れの連中をものの数秒で『殺害』し、

残りの逃げ惑う輩を正確無比な一撃で大地に沈めていく。

 

その所業に恐れをなした者達が武器を手に取り彼に襲い掛かるが、

 

「邪魔です」

 

藤坂啓吾の中の別人格ミカエルは、

それだけ言うと、圧倒的な戦力差で男達を蹴散らした。

 

うめき声すらあげない有象無象たちを尻目に彼女は敵地の奥へ向かう。

目的は、この施設の完全なる破壊。 そのためには、潰さなければならない、相手が居た。

 

この計画の立案者、催馬楽十郎(さいばらじゅうろう)。

そいつだけは、絶対に許せる相手ではなかった。

 

催馬楽十郎は、発火能力者(パイロキネシス)だという噂を啓吾は聞いている。

普通の能力者では、返り討ちにあうのが関の山だ。

 

しかし、ミカエルは違う。

彼女の持つ能力は、『法則性を打ち消す力』。

例えばX−4=8という方程式に、新たにYという文字をぶち込んで方程式自体を無力化する、そういう能力。

つまり、相手の能力さえわかっていれば、後は学園都市で最強を誇る超能力者、

それをも超える頭脳で相手の能力の『法則』を演算し、それを打ち消すことで相手を完全に無力化する。

 

もちろんそれは物質だって例外ではない。

ただし、この能力にも弱点はある。


まず、対象の『法則』がわからない限りは打ち消しも何もできない。

時間だけを与えられた方程式で、残りの二つを求めろと言われているのと同じだ。

次に、カオス理論などが絡む、いわゆる『法則性にかけるもの』も破壊することはできない。

コンクリートの塊は破壊できる、それ自体は規則正しい形の固まりだからだ。

しかし、コンクリートを爆破した時に出る破片を壊すことはできない。

破片は規則正しく割れる、という保障が無いからだ。(爆破が終わったあとのコンクリート片は壊せる)

 

それでも、彼女の能力は学園都市内でも異質、そして最強に近い。

そこらの単なる発火能力者ぐらいなら、赤子の手をひねるように潰せるはずだった。

 

ただ、彼女には少しの心配事があった。

 

「もしも、相手が炎を使って建物を崩した場合、そのときは、私の敗北も覚悟しなければなりませんね………」

 

さっきも言ったように、彼女の能力は『突発的にできた物』には通用しない。

たとえどれだけもとの物体が綺麗で、規則正しい形をしていたのだとしても、

爆破したコンクリートの破片が、すべて同じ形になるだろうか。

普通の人ならこう言うだろう、そんなわけはない、と。

切断したのならともかく、爆破で同じ形を作るのは普通無理である。


だからこそ、彼女は心配だった。

催馬楽が、それに気づくかどうかを。

 

『ま、今更どうってことねーんじゃね―の? どうせこっちには俺かお前しか戦える奴がいないんだから』

 

『それはそうなんですが……………』


『お祈りでもしてやろうか?破片が一発も当たらないように、ってな』


それはありがたいですねー、といいながら彼女は歩を進める。

絶壁へ続く、廃墟の道を。

 

 

 

 








 

催馬楽十郎は焦っていた。

そろそろ引き上げ時だと思っていたこの施設を誰かに発見され、

その侵入者は圧倒的な力を魅せつけてこちらへ向かっているというのだ。

 

普通の人間なら、例えば警備員や風紀委員程度なら催馬楽にも勝ち目はある。

しかし、今この場にやってくる敵は、そのレベルを遥かに逸脱していると聞く。

なにせ、銃弾が一発も当たらないレベルの敵なのだ。
この街には色々な能力を持った学生達がいるが、攻撃の一つも負わせられないとなると、
それはもう、学園都市で最強クラスの能力を誇る敵だとしか言いようがない。

それは即ち、自分の死を意味する。

 

だからこそ催馬楽は逃げる、

見えない何かに、追われながら。


どれだけの距離を走っても拭い去れない不安、
どこまで走っても逃げ切れないという自己暗示、
すべてが、周りにあるすべてが催馬楽の精神を削ってゆく、

そんな中で、

「待てよ、この腐れ研究者が」

 

その声は、突然響いた。

不明瞭、という言葉が限りなく似合わないその口調、

よく通る声で、藤坂啓吾は告げた。

 

「今すぐあの世に送ってやるからな、覚悟しろ」

 

ひいっ、と催馬楽は言ってから、

全力で逃げ出そうとした。


しかし、

 

「催馬楽十郎に不幸を設定。内容はその場で転ぶ」

 

その通りに、催馬楽は足を滑らせて転んだ。

硬いコンクリートの床に体を打ちつけ一メートルほど地面を転がる。

 

鼻を押さえて立ち上がろうとする催馬楽の頭に衝撃が走る。

少年が、自分のことを思い切り殴り飛ばしたのだ。

 

振り返り、催馬楽は自分を狙っている敵の姿を確認する。

身長は催馬楽よりも十センチぐらい小さい、学生服を着ていて、眼鏡をかけている黒髪の少年。

それが、今催馬楽十郎という人間を死に追いやろうとしているものの正体。

 

それを知った催馬楽は、

 

「く、くはははっははあはっははははっはっはははっはははっはは!」

 

あろう事にも、歓喜の笑いをあげてしまった。

そのせいで、自分がどうなるのかも知らずに。

 

「何笑ってやがんだこのクソ野郎がぁ!」

 

少年が爆発的な速度で距離を詰めてくる。

だが、催馬楽は思ったほど焦ってはいなかった。

催馬楽は右手を突き出して、

 

「燃え尽きろクソガキがァ!」

 

たった一瞬、

目の前の少年を焼き尽くすだけのこと。

それでも、催馬楽は喜びに浸っていた。

世間知らずの馬鹿を、焼き尽くした悦びに。

 

だがその悦びですらも、催馬楽は持つことは許されなかった。

 

「!?」

 

炎の中から現れた少年が催馬楽の顔面を拳で殴り飛ばす、

思わぬ攻撃に面食らった催馬楽は衝撃とともに後ろに仰け反る。

その催馬楽の胸倉を掴んだ少年は一言、

 

「歯ァ食い縛れや外道がァ!」

 

めきゃっ、という音とともに、催馬楽の体が宙に浮く。

追撃を加えんとする少年の左腕が空しく空を切る。

 

倒れこんだ催馬楽の上に覆い被さってくる少年に、彼は思い切り炎をぶつけた。

爆風の衝撃によって少年は後方へ吹き飛ばされる。

体を起こしてこっちを見ている少年に催馬楽は更に追撃を加える。

溢れんばかりの炎、そのすべてが、少年の体を焼き尽くす。


はずなのだが、

 

「邪魔だ」

 

少年が右手を突き出しただけで、炎が消え去った。

 

一瞬何が起こったのかわからない催馬楽は瞬間ぼうっとして、

少年の鉄拳が、催馬楽の右頬に突き刺さった。

 

「がひっ………!」

 

「………テメェの作った馬鹿な薬のせいで、何人の人が病院で苦しんでると思ってんだ。

 ………あいつらだって、一生懸命生きてきたんだぞ。 そりゃ確かに道は違えてたかもしんない」


でも、と彼は言葉を切って。

 

「だからって、実験動物のように、そう言う連中を使っていいってことには、ならないだろうが」

 

「ひいっ………!」

 

少年は拳を握り締めて、

 

「お前の私利私欲で、誰かが犠牲になるなんて、間違ってるだろうが!」

 

倒すべき敵のもとへと、力強く、駆け出した。

 


 

 

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