二章、少年と魔王の接点
たとえ、ものすごくかったるくても、
たとえ、すごい寝不足で足取りがおぼつかなくても、
たとえ、自分の中に、同居人が二人いても、
それでも学校はやってくる。逃げようが無い。
藤坂啓吾(ふじさかけいご)は今日もあくびをしながら公共のバスに乗り込む。
啓吾が通う学校はスクールバスの使用を推奨している、
しかし、料金がバカ高いので普段は使用する人も多くない。 というか滅多にいない。
啓吾も普段は電車を利用しているが、今日はバスに乗りたい、と思った。
なぜなら、いつも引っ付いてくる相原柚利から、今日こそは離れたいと、切に願うからである。
別に啓吾は彼女のことが嫌いなわけではない、ただ、あまりにもまとわりついてくるから鬱陶しいだけだ。
スタイル、器量、性格と三拍子そろってるので別に一緒にいることに問題は無いが。
『って、何考えてんだ俺はっ!』
慌てて自分に喝を入れた彼は携帯の電源を切る。
よーく見ると周りには『風紀委員(ジャッジメント)』が何人かいる。
風紀委員というのは、文字通りの存在であって、学園都市の犯罪を処理する役割を担っている。
ちなみに風紀委員は全員学生で、そのほとんどが高レベルの能力者だったり、何か特殊なスキルを持っている人だったりする。
そいつらに目をつけられると、彼の場合は普通の人より困ったことになってしまう。
なにせ、彼の能力を持ってすればこの学園都市など簡単に壊滅できるからだ。
そのことが学園都市の上層部に知れると大変なことになる。
実験動物として扱われるか、それとも特別クラスに編入させられるか。
「あー、やってらんないわ。もう」
気だるさに目をしょぼしょぼさせながら彼は景色を見る。
藤坂啓吾の変わりない学園生活が、始まる。
『あ、っというまに放課後でーす、……………アホくさ』
カバンを肩にかけながら啓吾は立ち上がる。
下校時間を少し過ぎているだけあって教室には人影もまばらだ。
彼はゆっくりとした足取りで教室を出て行く。
まだ日差しが強い青空に彼はちょっとだけ目を細める。
本来ならここで相原柚利(あいはらゆずり)が飛びついてくる所なのだが、
『今日はちょっと違うんだよね』
『何がどう違うんだよ』
『あいつ、この前の定期考査に引っかかったから今日は居残り、俺はそのあいだに昨日の件を調べるというわけだ』
そんなにうまくいくのかね、と言いながらサタンは啓吾の意識化へ消えていく。
確かにサタンはそう言った。
でも、たとえうまくいかなくても成功させねばなるまい。
気になってしまった以上、啓吾の性格からして首を突っ込まずにはいられないからだ。
「そうと決まればまずは足で稼ぐ。 とりあえずメールは友達中に回したし」
彼が意気込んで走り出そうとすると同時に、メールの着信音が鳴り響く。
薄めの携帯をあけ、ディスプレイを覗き込むと、そこには知らないメールアドレスが一通。
「なんだこりゃ」
いぶかしげに、しかし警戒心を持たずにメールを閲覧する啓吾。
チェーンメールなら後で削除、と思いながら啓吾は文面に目を走らせる。
三分ほど文面を流し読みした啓吾は悪魔的な笑みを浮かべて携帯を閉じる。
高鳴る鼓動、今にも駆け出したくなる衝動、これが啓吾が心待ちにしていたもの。
"今この瞬間世界で苦しんでいる誰かを自分の手で救い出す" これが、藤坂啓吾の望み。
啓吾は廊下を過ぎ、階段を上から下まで駆け下りる。
白熱する心臓の鼓動や、高鳴る"これから"の期待に胸を躍らせ、
玄関口の靴箱に靴を放り投げ、校門まで駆け出してから天を仰ぐ。
澄み切った空の青に染まった空を見上げて啓吾は笑みを浮かべる。
敵意と、行為と、羨望嫉妬好感激怒、あらゆる感情がこもった笑みを浮かべて、
藤坂啓吾は自分の立っている場所から北北西の方角を見据える。
彼が見る方向のその先、偶然にも、見上げた先。
そこには、窓が一切ないビルが、聳え立っていた。
「………さて、彼はどう動くのか。それが今の論点だな」
暗い室内の中、培養ポッドのような物の中に逆さまに入っている人間が呟く。
大人とも子供とも、男とも女ともとれる人間は目を細めて対談者を見る。
「ふざけるなよアレイスター、お前、あいつを使って何するつもりだ」
アレイスターと呼ばれたものが入っているそのポッドの外から忌々しげな声が聞こえる。
暗い室内に、たたずむその影、
藤坂啓吾、上条当麻の隣人、土御門元春である。
「お前は奴の能力がわかっていてこんなことをやっているのか?
アレは人の手で扱える代物じゃない、はっきり言う。さっさと手を引け」
土御門は忌々しげにその辺に放置してあるチューブを蹴飛ばす。
それでも無言で土御門を見ているアレイスターに対して土御門は苛立ちを覚える。
「問題はない。あちらに比べればはるかにこちらのほうが御し易い」
「お前は人をなめきっている。 あれはお前の想像をも越える。 もう一度だけ言う。さっさと藤坂啓吾から手を引け」
「………今日のところはこのぐらいにしておこうか」
ふざけるな! と土御門が培養器に詰め寄る。
しかし後ろに突然現れた少女が土御門の腕を掴んで瞬間移動(テレポーテーション)する。
後に残るは静寂のみ、それでも、アレイスターは密かに笑う。
「科学は人間の業の深さを証明し、魔術は人間の内なる願望を証明した」
一瞬の静寂のあと、
「ならば、彼らの力は何を証明してくれるのだろうね」
午後六時半、藤坂啓吾はとあるマンションの近くに立っていた。
学区で言うと第十六学区、場所で言うと、学園都市の北のほうである。
「あれま……………、以外とでっけーでやんの」
最早何語かわからなくなり始めている言語で啓吾は感嘆の声をもらす。
彼が今立っているマンションは、最近できた新興住宅街の近くに面しており、
九階建て、幅もかなり広く取ってあり、なおかつ、壁が新しい。
『こ、こんなとこに住んでみてーなー』
『………家賃払えるんですか?』
ミカエルに突っ込まれた彼は心の中でぐっ、と詰まる。
ええい、気を取り直して本題に向かわねばなるまい、と啓吾は気合を入れなおす。
確か目標の部屋は五階。さっさと向かって用事を済ますに越したことは無い。
啓吾は部屋割りを確認した後、番号を入力してマンション内に入る。
「えっとー、エレベーターはどこだ……………?」
『オイ、階段使うんじゃないのかよ』
「無駄に体力使えねーのよ、今回ばっかしは。 お、あった」
彼は右手にあったエレベーターに乗り込み階数を選択する。
新品同様のエレベーターはウィィン、と音を立てて上昇を始める。
啓吾は頭の中で一回考えを整理する。
そして持ち前の頭脳で想定しうるあらゆるパターンの対処法を考え出す。
一番楽なのは相手に信用してもらえること。
しかしこのパターンの成功率は限りなくゼロに近い。
だとしたらどうする、どうやって相手の信用を勝ち取る………?
そうしているうちにエレベーターは目的の階に到着する。
啓吾は考えを中断して五階に降り立つ。
啓吾が降りたところはエントランスホールになってるらしく、
ある程度の空間が開けていて、さらにソファらしき豪華な椅子と、大きめの花瓶が何個か陳列してあった。
彼はエレベーターを出てから右へ曲がり、その先の通路をまっすぐに進む。
表札を確認しながらしばらく進んでいると、
『509、宮端孝弘(みやつまたかひろ)、昴(すばる)』という表札を発見した。
妹さんと同棲かー、あのシスコン軍曹なら死ぬほど喜ぶな、
などとアホらしいことを考えながら啓吾はインターフォンを押す。
数秒の静寂のあと、あっけなく返事は返ってきた。
『どちら様ですか?』
まったく敵意がない、その声に少し安心した啓吾は自分の素性を説明する。
理解が得られるかどうか不安になっているうちにドアが開いた。
そこに立っていたのは、ごく普通の少年だった。
手入れの行き届いていない無造作ヘア、
くせっ毛ではないのにつんつんにとがっている頭。
半袖のTシャツにデニムのジーンズ。
ただ、普通の少年と少し違うのは、目の色だった。
半透明の水色とでも呼ぶべきその色は、
少年の純粋さを表しているように見える。
「………何か、用?何もないなら帰って欲しいんだけど」
普通の男子に比べて少し高い声が響いてくる。
その声の中に少しの動揺が見える、と啓吾は確信した。
「ちょっとさ、君が始めたバイトについて聞きたいんだけど」
"演技だけは"そこそこにうまい啓吾だが、初対面の人相手には多少緊張するらしい。
ぎこちない笑顔、かなり怪しいそぶりを見せながら啓吾は少年、宮端孝弘に話しかける。
「………ダメ、今日のところは帰ってよ」
『中に二人居るから。怪我して欲しくないし』
啓吾は一瞬面食らった。
突然、宮端の声が頭に入ってきたのだ。
しかし今の話から部屋の内部の状況をすぐに割り出す。
その上で、重ねてこう言った。
「いやだね。脅されてるなら尚更だ」
啓吾は宮端の手を払って部屋の中に飛び込む。
玄関口からリビングに入る通路の途中で一人の男に掴みかかられる。
後ろから羽交い絞めにされる啓吾だが、彼はあくまでも冷静だ。
『変わるぞ、ミカエル』
『わかりました。 叩き潰せばいいんですね』
人格の交換を済ませたミカエルは、啓吾を無力化しようとする男の額に手をあてがう。
男が何をするのか気づく前に、ミカエルは男の意識の法則を破壊する。
つまるところ、手のひらを額に当てただけで男を気絶させてしまったのだ。
大柄な男を床に下ろした後、ミカエルは手首を軽く回してリビングに向かう。
ミカエルがリビングに入った瞬間にもう一人がナイフを持って襲い掛かってくる。
縦振り、横薙ぎの攻撃を簡単な動作で見切った後、一気に懐に潜り込む。
一瞬の動作に男が怯んでいる間にナイフを粉砕、続いて正確に足を払って男を床に押し倒す。
そしてゆっくりと右手を男の頭に当てて、
「記憶ごと、粉砕」
その一言と同時に男は意識を失い床に倒れ伏す。
ミカエルはその男が完全に意識を失ったのを確認してから所有権を啓吾に戻す。
「お礼は?」
「あ、ありがと。 助かった」
「人質でもいたのかよ?」
「うん、妹がね」
そうかい、と言って啓吾は男達を縛り上げる。
そいつらを部屋に転がして置いて、啓吾は話を進める。
「さっきのでわかったと思うけど、俺は君の敵じゃない」
まあそれはなんとなくわかるよ、と宮端は言う。
その言葉には純粋な意味しか込められてないな、と啓吾は予想する。
「じゃあ質問するけどさ、君一体何者? どう見ても一般人じゃないよね」
いや、ただの一般人さ、と啓吾は笑って答える。
「ちょっとお人好しだけどな」
「ははっ、いえてる」
「で、妹さんは何で人質になってたんだ?」
啓吾がその質問をすると宮端は少し嫌そうに、
「妹、昴は病気で動けないから………」
宮端の顔に浮かんだ暗い影を見て、彼の妹は寝たきりなのだろう、と啓吾は予想する。
だとしたら、なぜ病院などに入れないのか、という疑問が啓吾の頭を掠める。
学園都市は生徒ありきの街だ、生徒がいなければこの街は街として成立しない。
それにいくら超能力のある街といえど、病気に関してはそこまで特殊なものは多くないはずだ。
一般的な風邪、消化器系、肝臓やすい臓、その他精神的なものくらいである。
考え込む啓吾を見て、宮端はただ手招きをして、啓吾を隣の部屋に招きいれた。
そこには、啓吾が想像できないような惨状が、広がっていた。