1章、幸福と不幸は相反するもの、

 

 

六月、梅雨時、ある少年が自販機の前で立ち尽くしていた。

彼は別に金がなくて立ち往生しているわけではない、

かといって何を選ぼうかということで迷っているわけでもない。

 

彼が迷っていたのはそう、自分の能力(チカラ)を使うべきかどうかだ。

 

ここ、東京西部を開拓して造った学園都市では超能力の開発が行われている。

薬を投与し、脳の血管にチューブを差し込んで、血管千切れるまで踏ん張って能力を開発するのだ。

 

でも基本的にはそこまでやってもスプーンしか曲げられない、使えないという烙印を押される者ばかり。

本当の意味で実用的な能力の強さに達するものなど、学園都市の人口の十パーセントほどに過ぎない。

 

しかし、少年はその中でも異質、そして、誰にも知られていない『力』を保持している。

少年がこの『力』を手に入れるに至った経緯はいろいろあるのだが、ここでは割愛しよう。

「う〜む、当たりつきってのがネックだな………、欲しくないものまでもらう羽目になる」

 

髪の毛の先っぽをいじりながら品定めをする少年。

「え?何?使えばいいだろうって?別にいいよ、俺そこまで卑しくないし」


少年が隣にいる誰かと話をしている。

しかし、その姿は誰の目にも映らない。

 

「どうすっかな………、なんだよ、うじうじしないで使えってか、

どうしてこう、お前は俺を悪の道に引きずりこもうとするかなぁ!」


………このままでは少年はただの精神異常者として見られてしまうので、

彼が会話をしている相手の声も表記して話を進めよう。

 

『なーにが悪の道だ。人間最初っからそれ突っ走ってるんだ、今更ジュースぐらいでどうこういうんじゃねーよ』


彼の中の『誰か』が言う。

 

「うるさい、俺はお前と違って善良な高校生なんだ。 人を殺すのもいとわないお前と一緒にすんな」

 

『それは心外だな、俺も無分別に殺すわけじゃない、お前が一番わかっていることだと思うが?』


ぐっ………と少年が詰まる。

はたから見てると単なる一人相撲に見えなくも無い。

『やめなさい魔王(サタン)、啓吾をいじめてどうするのですか』


と、彼の中の別の誰かが言う。

それに対してサタンと呼ばれた別人格はうるさいと返す。

 

「あーもー、お前ら喧嘩するくらいなら俺から出てけ! そのほうがすっきりするわ!」


啓吾と呼ばれた少年が頭を抱えながら怒る。

それはまずいと判断した二人は啓吾の説得にかかる。


そうしてから約三十分後、人気の少ない路上を缶ジュース二本片手に歩く啓吾の姿があった。

ちなみに品目は『ヤシの実サイダー』と『抹茶ミルク』
どちらも得体の知れない商品であることは間違いない。

 

結局能力使わなくても当たってしまった………と彼は心の中で思う。

『ヤシの実サイダー』まではいい、しかし何故『抹茶ミルク』が当たる!?

よほどのいかれた味覚している奴ぐらいしかこんなもの飲まない、と彼は思う。

 

さてこれをどうするか、同じ寮にいる『不幸の避雷針』にでもあげようか、

それともリアル義妹にラヴ(発音注意!)な『シスコン軍曹』にでもあげようか、

それともいつも世話焼いてくる近くの女子寮の奴にあげるか、でもやっぱり却下。
などと考えながらジュースのプルタブを開ける。

 

「あー!いたいた。啓くん何やってんのー?」


人懐っこいソプラノボイスとともに誰かが駆け寄ってくる足音。
同時に、すぐそこの曲がり角から一人の少女が現れた。

 

啓吾はあからさまに嫌そうな顔をして少女を見る。

彼が何もせずに突っ立っていると、少女はダッシュで距離を詰めてくる。

いきなり自分との距離を30センチに縮められた彼は一言、


「何でお前がここにいるんだ……………」

とため息混じりに呟いてジュースを一口。

ヤシの実と炭酸の微妙なコントラストが口の中に広がる。

「いや、ちょっといつもより帰りが遅かったから、終バス乗り遅れたのかなー、って思っただけ」


てへっ、という効果音が出ているんじゃないか!?

舌出すんじゃねぇ、背筋が凍るわ!まったく心臓に悪いとつぶやきながら彼は歩き始める。

 

少女のほうはというと、歩き出した彼の左側に並んで話を始める。

そのあまりの情報量と展開の速さについていけなくなった彼は空を見上げる。


しかし空を見上げても見えるのは黒一色。


それもそのはず、今日は一日中曇り、出かけるには最低の天気です。

 

「………それよかなんだお前、いつもは髪束ねてないだろ。 何でよりにもよってツインテール?」


少女の髪を見ながら啓吾は質問する。

 

「え〜?なんとなくかな〜」

なんとなくで済ますななんとなくで、と彼は心の中であきれ果てる。

 

『それにしても、何で俺こいつと知り合いなんだろう』


きっかけはかなり単純で、ありえないことだった気がする。

確か路上で行き倒れてたこいつに同情して、

缶ジュース与えたら何故かついてきて、

あまつさえ『おやつおごって欲しい』と言われて、

財布に余裕があったのでおごってやったらこのザマだ。

ああ、あの時親切心に駆られるんじゃなかったと彼は心の中で後悔する。

 

ふと、顔をあげてみるとすぐ先には工事現場があった。

道路はでこぼこになっており、啓吾の隣にいる少女が無事に通れるとは思えない。

 

「………サタン、ちょいと変わってくれ」


『何すんだよ、まさか『能力』使えってか?』


「その通り、こいつがあそこ無事に通れるとは思えないからな」


へいへいわかりましたよ、といってサタンは啓吾と体の所有権を交換する。

所有権の交換、というのは、単純に言うと人格が入れ替わることだ。
今の彼の体には、『サタン』という別人格がはいっている。

 

「ほんじゃま、行きますか〜」


彼は両手を一回空に上げたあとに呟く、

周りから見ればなにやってんだこいつ? な状態である。

「相原柚利(あいはらゆずり)に『幸福』を設定、内容は、この先学生寮までの間、一度も転倒しない。 内容を確認、及び施行」


平坦な冷たい声でサタンは告げる。 まるで神様のような事を。
サタンが『幸福』を設定しても、一見すると世界に変わりは無い。

「俺の役目は終わり、あとは任せた〜」


と言ってサタンは啓吾の意識下に潜っていく。

かわりに体の所有権を取り戻した啓吾は複雑な気持ちになっていた。

 

なぜ、自分はこの力を手にしたのか、

なぜ、自分の中には別の人格が二人もいるのか、

なぜ、この能力は、学園都市の身体検査(システムスキャン)にも引っかからないのか、

なぜ、俺は研究者に一時預けられたのか。

なぜ、俺の親は、それを黙認し、学園都市に俺を入れたのか。


すべて、何度考えてもわからないことばかりだった。

考えてもきりがない、でもふとした時に考えてしまう。

そんな自分に、彼は少し諦めのようなものを感じていた。

 

結局、どこまで行っても探究心には勝てない自分を。

 

「おわっ、工事現場ですよ、私の苦手とするところですよ。 ねー、啓君おぶっておぶって〜」

 

「気色悪いやめんかその媚び声! 大体苦手なことには真正面からぶつからないと克服できんぞ」


啓吾がそう言うと柚利は『じゃあがんばってみる』と言ってでこぼこ道を歩く。

えっちらおっちら歩く柚利の姿を見て吹き出しながら彼もでこぼこ道を行く。

 

柚子はとにかく転ばないようにしながら工事現場の横を通り過ぎる。

彼女がゆっくりと歩くさまは、まるで亀のようだと啓吾は思う。

遅れないように彼もゆっくりと進んでいく。

 

工事現場は意外と道が悪く、柚利より運動神経がいい啓吾でも少し苦戦するような道だった。

そんな道を二人の高校生は土手を歩く子供たちのように歩き通す。


不思議と時の進みが遅いこの状態、この状態が、啓吾は一番好きだった。

 

何も考えず、ただ、この状態を享受する、

その瞬間が、かけがえのない、日常だから。

だからこそ、彼はこれを手放したくない。

そのためには、なんだってする。

たとえ、化け物の能力に、手を染めても。

 

とその時、曲がり角から一人の少年が飛び出してきた。

少年は急いでいるのか、息を切らしながら二人の間を通り抜けていく。

彼の後姿を見ていた啓吾は、背後から何者かに肩をつかまれた。

 

「おい、さっきのガキに、何か渡されなかったか?」


「さてね、知らないよ」


その態度が気に食わないのか、男はさらに詰め寄ってきて、


「隠し立てするとえらい目見るぞ。 しばかれんうちにさっさと出せや」


と懐からナイフを取り出す。

きらびかりする銀の刀身を見つめても啓吾はおののかず、
男はその態度にあからさまな嫌悪感を発していた。

しかし、その男は気づいてなかった。

そのナイフという刃物が、学園都市の中ではどれだけ無力かを、

そして、藤坂啓吾という少年を怒らせるのに、どれだけ有効かを。

 

『ミカエル、変われ!』


彼が心の中で念じると同時に啓吾の体の所有権が別人格『ミカエル』に変わる。

 

「子供にナイフを突き立てるとは………あなた方何を考えているんですか?  少々大人としてのマナーがなっていませんね。

 大体そんなものが学園都市で何の効力も持たない事を、あなた方は知って………」


黙れクソガキ!、と叫びながら男の一人が啓吾に切りかかる。

しかし、その刃は啓吾の体に突き刺さることなく、砂の様に消えていく。

 

驚く男たちを尻目に啓吾は柚利の手をとってその場から逃げ出す。

そのうちの一人が啓吾を追ってくる。

その姿を確認した後で彼女は柚利を逃がして囮になる。

啓吾が左の路地に入ると相手もそれを追ってくる。

 

路地の半ばまで進んだ所で立ち止まり、相手を見据える。

啓吾を追ってきた相手が手に持っているのは単なる拳銃。

これではまったく話にならないな、と彼の中の別人格達は思う。

 

「ハァ、ハァ、よ、ようやく観念したかクソガキ。 ほら、さっさとあいつに渡されたもの、よこしやがれ」

 

「何のことかわからないのですが。 大体、貴方がたが欲しがっているようなものは持っていません」


妙に女っぽいしなつくる野郎だな、と男は言う。

啓吾はその言葉に打ちひしがれ、サタンはただ笑いつくすのみ。

しかしミカエルはそんな二人を完璧に無視して、


「用がないなら帰らせていたただきますが。 よろしいですか?」


と告げる。

 

させるかこの馬鹿が!と言いながら男は拳銃を発砲する。

しかし、その弾は啓吾の体に触れると同時に粉々に砕け散る。

驚愕する男を冷徹な表情で見据えながら彼女は前進する。

 

恐怖に判断力を失った男は闇雲に銃を乱射する。

しかし、その弾が啓吾の体を貫くことはない。

どれだけ威力があろうとも、まるで砂の塊のように消え去っていく。

 

弾が無くなった拳銃を捨て、男はナイフを取り出す。

それでも、彼女はまったく動じない。

ただ、ゆっくりと歩を進めるだけだ。

 

奇声を発しながら男は啓吾に突進する。

鋭いナイフの切っ先が、彼女の心臓めがけて一直線に突き進む。

そのナイフも、彼女の前ではまったく意味を成さない。

紙屑のように、壊れて果てるだけだ。

 

恐怖が足にきたのか男はその場に尻餅をつく。

その男の額に啓吾は手をあてがい、



「今度は、喧嘩をする相手を選びましょうね」



と、ただ一言だけ告げて、その場を去った……………

 

 

 

 

 

 

 

 

啓吾がその場を去った後、彼は学生寮の前で、一人途方に暮れていた。


「………まずいよな、これ絶対誰かに気づかれてるよな」


『ああ、この都市には監視システムがうようよしてやがる。 多分俺らのやったこともとっくにばれてると思うぜ』


「怖いこと言うなよサタン」

 

まあ仕方ない、捕まったらその時だ、

とりあえずこの能力がばれる心配は無いから。

少し楽観的に物事を考えた後、彼は階段を上り始める。

 

彼は滅多なことではエレベーターを使わない。

まあこの学園都市には『瞬間移動(テレポーテーション)』とか、

そういう移動系の能力者もいるからそれに当てはまるのだろう、と普通の人は考える。

しかし、彼はそういう能力を持ち合わせてはいない。

彼が階段を好んで使うのは、あくまでも『鍛錬』のためである。

 

ううむ、体力が少し落ちたか?と考えながら彼は階段を上る。

ちなみに彼の部屋は七階端っこ、日当たりの点だけは最悪な部屋だった。

 

「………なんであの馬鹿がこんなとこにいるんだ?」


彼が階段を上りきった直後、

隣人の土御門元春(つちみかどもとはる)が自分の部屋の前に座っていた。


金髪にピアス、なぜかアロハシャツにネックレスなど、微妙に高校生離れしている格好。
サングラスをかけて、長い腕をだらりと下げている姿はどこかのボクサーに見えなくもない。
もともとこの格好は彼曰くモテたいためにおこなっているらしいのだが、今現在効果は無く、
むしろ義妹で、家政学校に通っている土御門舞夏に甘いダメ兄貴だったりする。

「おーす、何やってんだこんなとこで。 義理の妹さんはどうした?構ってやってないのか?」

 

「会ってからの台詞がいきなりそれかい! 大体舞夏(まいか)は今ごろ寮の中だにゃー」


土御門は缶ジュースを取り出しながら啓吾の方によってくる。

 

「なんだ、からかいがいが無いの。それより、『不幸の避雷針』はどうしたんだよ。あいつ確かいるはずだろ?」


啓吾はそれを土御門から受け取ってプルタブをあける。

小気味のよい音がして炭酸が少し抜ける。

 

「あー、カミやんならふてくされて寝てるぜよ。なんでも今度は痴漢に間違われたそうな」


土御門がやれやれだぜ、といった感じに手を振る。

「滅多にバスにも乗れないのに? ………う〜ん、やっぱ不幸だな、あいつ」

 

「なんか今日は偶然乗れたそうなんだけど、異常に混んでて、しかも女学生ばっかだったって言ってたにゃー」


俺ならそれは大歓迎、と土御門は両手を叩く。

 

そんな彼の行動に一抹の不安を抱きながら啓吾は『フローズン・スプラッシュ』を流し込む。

炭酸の刺激が喉を駆け抜け胃袋まで到達すると同時に彼の腹が膨れ上がる。

そして大きい音を立ててガスを口から放出。

 

「………コレ美味いんだけど、最後の奴が未だにちょっと………」


『まあな。あれだけ大きな音出したら恥ずかしいよな』


『…………………………うっさい。少し黙ってて』


へいへい、と言ってサタンは啓吾の意識化へ消える。

 

「それで?藤やんは何しとったんだ? いつもはこんなに遅くないだろ?」

 

「ああ、ちょっと変なおっさんに絡まれてな。 ボコるのに時間がかかった」


そーかい、と言って土御門は自室に帰っていく。

その姿を見送ってから彼は自分の部屋に戻る。

 

部屋の表札には『藤坂啓吾』とマジックで適当に書いてあるだけ。

何の変哲も無いドアの鍵を解除して室内に入る。


玄関は一人から二人くらいが入れる広さになっており、左側に靴箱がある。
適当に靴を脱ぎ、そこらに放ると、啓吾はリビングへ向かう。
目の前にあるテレビに電源はついておらず、左手に見えるキッチンにも明かりは無い。

持っていたカバンをダイニングテーブルの上に投げ出すと、彼はキッチンに入る。

冷蔵庫を開けて冷凍しておいた食材の中から何種類かの冷凍食品を取り出す。

 

『またそれか、お前栄養とか考えてるのか?』


「少し黙ってろって言ったろ。じゃないと追い出すぞ」


『へぇ? 俺やミカエルのこと追い出せるのか?』


うるさい、といって彼は冷凍食品の解凍を始める。

方法は簡単、電子レンジに突っ込んで温めるだけ。

二分ほどで温め終ったハンバーグを取り出し皿に盛り付ける。

 

『あの―――、……………』


「ミカエル、なんか用でもあるの?」


『いえ、その、………なんでもないです』


変な奴、と思いながら彼はハンバーグにナイフを入れていく。

 

「それにしても、あいつなんだったと思う?」


啓吾は率直に疑問をぶつける。

議題は先ほど走り去って行った少年についてだ。

『見た感じでは、あの無礼な輩に追われてる、と思いますね』


『俺も同感だ。それ以外には考えつかないしな』

 

「…………………………………………………………………」


啓吾は腕を組んで寝転がる。

 

何が引っかかってる?

なにが、自分の勘に触れた?

何を、あの時思った?

 

わっかんねぇや、と言って彼はベッドに転がり込む。

明日も学校だ、早く寝ないと体が持たない。

 

とりあえず今日あったことは保留にしといて、

明日、もう一回考えてみよう…………………………

そう思って、啓吾は深い眠りについた。

 

 


 

 

次へ進む   トップに戻る