午後四時三十分、翡翠亭はこれまでに無いくらいたくさんの客でにぎわっていた。
厨房から見るだけでも、いや、見なくてもわかる。 それだけにぎやかだ。
席は完全に埋まっていて座るスペースすらない。外で待っている客もいるくらいだ。
この現象の原因は近くの商店がいっせいに休業したからと聞かされている。
それにしても多すぎる。こっちは料理を作るので精一杯なのに、客はあとからあとからやってくる。
収集が、まったくつかない状況に陥っていた。
それでも十分ぐらいで客足は減り、いつもぐらいの人数にまでなった。
「トーヤ!買い出し行って来い!」
「何買ってくりゃいいんすか?」
「とにかく食材だ、もう何にもねぇ」
あの店長でさえ憔悴しているのだから今日は特別忙しかったのだろう、今になって気づいた。
俺は裏口から店を出て近くのスーパーで買い物をした。使いそうな食材を片っ端からカートに詰めてレジへ向かう。
会計を済ませて食材を袋に詰めようとするが…………
「………あれ?はいんないぞ?」
袋に対して食材の数が多すぎるのだ。あふれる食材を目の前にして俺は少し考え込んだ。
「………仕方ない」
カートに食材を詰めなおして外に出る。店員が何か言っているけど無視だ。俺にはやらなければならないことがある。
裏口から厨房に侵入し、冷蔵庫に片っ端から物を詰め込む。野菜と肉類がごっちゃになったりしているが気にしない。
フリーザーの所に調味料詰めても気にしない!
野菜室に魚詰めても気にしない!缶詰詰めても気にしない!
蓋が閉まんなくても気にしない、気にしない!
「気にしろーーーーーーーっ!!!!」
「いでっ!!!」
店長に後ろから思いっきり殴られた。あまりの痛さに視界がゆがむ。
「お前なにやってんだーーーっ!冷蔵庫閉まんなくなったら終わりだろーがーーーっ!!」
「ド、ドンマイドンマイ。何とかなりますって」
「ったく、しょーがねーな」
店長がおもむろに冷蔵庫のドアをつかむ。
んでそれを思いっきり叩きつける。
あ、閉まった。綺麗に閉まった。
一仕事終えた後の顔をしている店長。あんた、そんな特技より別のこと身に付けましょうよ。
しかも後ろでは他の連中が笑ってるし。なんかすごいことか?これ。それとも名物?
って、そんなこと気にしてる場合じゃなかった。いつお客が来るかわかんないからな、厨房で待機してないと。
と、そのとき、店の入り口から二人の客が入ってきた。
「トーヤ、お前行け」
またウェイターが足りないのかい!とほほ、俺の本分は料理作ることなんだけどなぁ…………
厨房から出て入り口で待っているお二人の前まで行く。
「いらっしゃいませ、大変お待たせしました。二名様でよろしいですね」
「ええ、ハイ」
「それでは………こちらに」
窓際で壁にも程よく近い位置をチョイスしてやる。野郎のほうは壁側、女の子の方は窓側だ。
何でその子が窓側かっつーと、う〜〜ん、その、まあ、可愛いから………なんだよね。
見た感じおしとやかそうだし、髪も長くてなんかいい感じ。雰囲気は………なんかはつらつそうだな。天真爛漫と言うか、いわゆるフツーの子?
そこで俺は席のチョイスを間違えたことを知った。この子有名じゃんか、なんていったっけ、確かファンクラブができてる………え〜〜と………
「俺はコーヒー、ことりはなににすんの?」
そうだ思い出した、白河ことりだ。噂だけならたくさん聞いたことがある。
……………でも恥ずかしくて考えることができねーや。しかも本人の前で………
「私は………ロールケーキとストロベリーパフェ、あとイチゴ大福にします」
はいはい…………っておい!!?あんたそれらの量わかっていってんだろうな!軽く一キロ弱はいくんだぞ!
ふと見ると、あ〜あ、あきれちゃってるよ。確かにな、彼女が甘味大王ならあきれるわな。
………ん?こいつどこかで見たことがある気が………
あーっ!姫乃凛!お前なんでこんなとこにいるんだぁ!?しかも白河さんと二人で。
……もしかしてこれは、いわゆるデートってやつ?そーかそーか、なら納得だ。したら俺は邪魔だな、とっとと退散しよ。
「ではご注文のご確認をします。ロールケーキにストロベリーパフェ、イチゴ大福、それにコーヒーでよろしかったですね?」
「はい」
「かしこまりました、少々お待ちください」
丁寧にお辞儀をしてその席から離れる。んで、厨房に入って調理開始!
担当は俺が大福、仲原と藤田がパフェ、ケーキはすでに作ってあるので誰もやらない。んで、コーヒーは店長だ。
店長はコーヒーの天才らしい(自称だが)淹れ方に秘訣があるとか何とかでファンの客も多い。実際美味いのだから文句はない。
でも俺が見た限りでは普通のコーヒーとさほど変わらない淹れ方をしている。なのに何故あんなに美味いのだろう、謎だ。
「トーヤ!ぼけっとしてないでさっさと作っちまえ!」
はいはい、わかっとりますよ。
タッパにつめておいた餡を手で適量すくいとって皮に乗せる。
その後苺を取り出して餡に軽く押し付けるようにして乗せる。
ここからは手早く、形を整えながら皮を伸ばして餡と苺を包み込む。この間わずか三十秒。
皿に乗せて一丁上がり!さーて、他はどんな感じかね。
…………オイ仲原、お前のその美的センスはなんだ?いったいどこの誰がパフェに髑髏マークを書くんだ!?
「オイ、ふざけんのも大概にしろよ」
「へ?これがどーかしたか?」
「どーかしたか、じゃないだろう。髑髏マーク描くか普通」
俺がそういうと仲原は胸を張って、
「どうだ、スゲーだろう。見ろ、このデザインの完璧さを」
ボカッ!
とりあえず、全力で殴った。
なに考えてんだオメーは!あの二人にこんなもん出せるか!
あーどうしよ、今からじゃ作り直すのも面倒だし。かといってこれはさすがに………
「しょうがないわね、ほら」
俺がパフェの前で途方にくれていると藤田がデザインを直してくれた。綺麗なハート型。
助かったぞ藤田!これで何とかなる!
藤田に手で礼の合図を送る。藤田は「別にいいわよ」って顔してる。
さて、運ぶか!
左手にパフェと大福が乗った皿、右手にはロールケーキとコーヒー。どちらも危険度Bクラスの代物だ。
コーヒーをこぼさず、パフェをできるだけ傾けないようにバランスを取りながら二人がいる席まで向かう。
これほどの高等テクニックがこなせるやつはこの店では俺くらいしかいない。
それが俺がよくウェイターとして狩り出される由縁なのかもしれない。
何とか一度も体勢を崩さず席までたどり着く。決まりきった台詞とともにデザートをテーブルに並べていく。
…よく見ると、白河さんの目が輝いている。………よっぽど好きなんだな、甘いもの。
全部並べ終わったあとでスッと立ち去る。もちろんこれも二人に対する配慮だ。
なんせ恋人同士の甘いひととき、俺みたいな無粋な輩に邪魔されたくはなかろう。
音を立てないようにして戻ってくると、仲原が皿洗いをやらされていた。
たぶん店長に怒られたのだろう、自業自得だ。
「トーヤ〜〜、手伝ってくんない?」
「嫌だね。自業自得じゃんか」
「髑髏マークのなにがいけないんだよー。いいじゃんかよー、髑髏マーク」
………その考えを根本から直さん限りお前に日の目はこない。たぶん一生。
ブツブツ文句をいっている仲原を放っておいてフライパンを手に取る。
戸棚からホットケーキミックスを取り出し牛乳と一緒に混ぜる。
「トーヤ、お前なに作る気だ?」
「ホットケーキですが、ああ、これの代金給料から引いておいていいっすよ」
「違う、俺たちの分も作らないのか、という話だ」
……なるほどね。
「ちょっと時間がかかりますが」
「早くしろよ」
そういうと店長は店の奥に戻っていった。
さて、人数が増えたから作り方を変えるぞ。ホットケーキミックスを四倍、牛乳三倍、その他ごちゃ混ぜのトーヤスペシャルに変更だ!
勢いをつけてミックスをかき混ぜる。さすがに重い!なかなかへらが動かねぇっ!
ミックス相手に悪戦苦闘しているうちにフライパンがちょうどいい温度になってきた。頃合を見てミックスを流し込む。
フライパンいっぱいに広がるミックスをへらで軽ーくかき混ぜる。
普通はこんなことしないのかもしれないのだが俺はホットケーキを作るとき、絶対にこうする。
なぜなら初めて店長の命令でホットケーキを作ったときにこの方法で大成功したからだ。
どんな味になるかというと、なんか言葉で表現できないフンワリ感としっとりとした口当たり、
それに端っこのカリカリ部分が合わさって至福の味わいになるそうだ。
そんなわけで俺が作るホットケーキは至高の一品としてメニューに登録されている。
俺が気の向いた時にしか作らないから、食べることはまず叶わない。
これを食べた人は今までに………何人だっけ。かなり少なかった気が…………
とっとと、危ない危ない。カリカリの部分焦がすとこだった。早くひっくり返さないと。
フライパンを器用に動かしてひっくり返す。綺麗な狐色の焦げ目がついている。
そのまま何分か放っておいて勝手に焼きあがるのを待つ。この何分かが貴重なんだよな〜
店内のほうを見てみると、席には姫乃と白河さんの二人しか座ってなかった。
……せっかくだから食べさせてやろうかな。結構大量に作ったし。
「店長!ちょっといいすか」
「なんだ?」
「実はっすね、……………………」
耳元でささやいてみる。
「いいぞ、別に」
「まじっすか」
少し面食らった。こんなにあっさりと許可が出るとは思ってなかった。
「だったらほれ、さっさと呼んでこんかい」
「うぃーっす」
厨房を出て二人が座っている席へ向かう。……なんか楽しそうに話してやがるな。
邪魔かな、俺が行ったら。いや、でも行かないと伝えられないし。
ええい!腹くくれ腹!お前は日本男児だろう!
「あのすみません」
「ハイなんでしょう」
「ちょーっとこちらに来ていただけますか?」
「いいですよ」
「それではこちらに………」
厨房のほうを指差して二人を誘導しようとする。
とそのとき、姫乃に服のすそ捕まれた。
「オイ、お前俺が前に住んでたアパートの205号室にいた高町トーヤだろ」
いきなりそう質問された。
「………203号室の姫乃?ひっさしぶりだな〜、元気だったか?」
実は前に一度シカトこいてるんだけど、できる限り初対面のふりをする。
「何でこんなとこで働いてるんだよ、お前まだ確か………」
「こんな時にそんな不粋な質問してくんじゃねーよ。彼女さん待たせてどうするんだよ」
「へ?か、彼女!?ち、違うぞ、俺とことりはそんな関係じゃない」
「うっさい黙れ、俺の勘を侮るなよ姫乃。俺が見たところ、すでにお前らはかなり親密な関係にあると見た」
「なっ、た、確かに俺は今ことりん家に居候させてもらっ……………」
ほう?いますごーくいいことを聞いてしまったぞ。
姫乃はそれを言ってから『しまった!』という顔をしている。だが、もう遅い。
「墓穴を掘ったな。そうか、もう同棲まで話が進んでいるのか、おめでとう」
「ちょっと待て!久しぶりに会っていきなりなに言ってやがる!さっきから説明しているように俺とことりは………」
「姫乃」
俺は姫乃の肩に手を置いて、
「結婚式には呼んでくれよ」
とだけ言い残して厨房へ向かった。
「こ、これ食べてもいいんですか………」
って今にも食いつきそうじゃありませんか白河さん。
眼がマジだよ、眼が。
「おう!好きなだけ食べて行けや」
店長!そんなこと言っていいんすかぁ!?この人、確実に俺らの分まで食い尽くしますよ!
ああ、そんなことを言っている間にもう半分近く食べられてる。せっかく一人で食べれると思ったのに……………
「はあ、幸せ〜〜、こんなおいしいホットケーキ食べたことないっすよ」
「そりゃあよかった!なあトーヤ!」
「うぃっす…………」
残念だけど店長、俺は今とってもブルーなんすよ。せっかく味が確かめられると思ったのに。
「はあ………」
ため息まで出てしまった。普段はこんなことないのに………
「にしてもホントに美味しいな、これ。どうやって作ってんだ?」
「市販のホットケーキミックス、材料はそれだけ」
俺は特別な材料は使わない。確かに特別な材料を使えば味のいい料理はできる。
でも、そんな料理、バリエーションや個性がなくってつまらない。
世界三大珍味だとか、高級食材だとか、そんな物使えばおのずと選択の幅は減る。
選択の幅が広くて、なおかつ美味しい料理。それが理想形なんだと思う。
このホットケーキはそれの第一号。………といっても二号とか三号とかがあるわけじゃない。
でもそのうちオリジナルの料理が作れたら、なーんて思ってしまう。
まだまだ早いけどね。
「あのー………作り方、教えてもらえません?家でも作ってみたいんです」
白河さんが上目遣いでこっちを見てくる。
…………ケーキのかすがついとるよ、可愛い顔が台無しじゃん。
「ダメ、スペシャルレシピだから。それとこの方法は俺にしかできないようだから」
いくら頼まれても絶対にそれだけはダメだ。このレシピは俺のもの。だから……誰にも渡せない。
「けちだな〜〜〜、いいじゃねぇか、作り方ぐらい」
「けちでもなんでもかまいません。とにかく、俺は作り方を他人に教える気はありません」
「かき回すだけですよ、焼き始めに。トーヤくんそれしかやってませんから」
はーーーーとーーーーべーーーー!貴様なにあっさりと秘訣ばらしてくれとんじゃあ!
俺のホットケーキの人気がわかって言っているんだろうな!?
この店の死活問題にまで発展したらどうするつもりだっ!
「オイ鳩、お前なにしちゃってくれてんの?」
俺が詰め寄ると鳩辺は『いいじゃないの、別に』という顔で俺を見返してくる。
「減るもんじゃないんだから、ばらしたっていいでしょ。それともなに?文句でもあるの?」
「ないっす……………」
うなだれながら横を見ると白河さんが店長に他の材料は何なのかを聞いている。熱心だねぇ。
ま、彼氏のためならそれもうなずけるわな。納得納得。
にしても姫乃、普通ならこんな可愛い子彼女にできてうれしいはずだろ?何で呆れ顔なんだか………
………俺が詮索することじゃないか、野暮だな、野暮。
その後、十分ほどしてから二人は店を出て行った。
あ〜あ、腕まで組んじゃって、幸せそーに。ホントにベストカップルだな、あの二人。
にしても姫乃って白河さんの家に住んでたのか。急にアパートから出て行ったっきり音信不通と聞いていたが………
「トーヤ、なーにやってんだ!反省会するぞ!」
「今行きます!」
そーいやこれから反省会か、………長くなんないといいんだけどな。
表のドアに『CLOSE』と書かれた札を下げてから厨房に向かう。
俺がついた頃には店長を中心に輪のようにみんなが並んでいた。
「では、今日の反省を行う。今日の反省はなし!以上だ」
「「「「「ありがとうございました!」」」」」
みんなでいっせいに礼をする、そのあとは更衣室に入って着替えて帰るだけ。
いつも着ている服を取り出す。何の変哲もない黒色のジャージ上下、それが俺の普段着だ。
そしたら、とっとと帰りますか。
裏口から出てまっすぐ帰路に着く。綺麗な夕焼けが辺りを包んでいる。
ふと、いつもとは違うルートが通ってみたくなった。目の前の道を左に曲がってそのまま進む。
住宅街を突っ切り歩き続ける。本当は家に帰りたくてしょうがないはずなのに体も心もそれを拒否している。
一体どれくらいの曲がり角を通り過ぎたのだろう。気がつくと、俺は見知らぬ公園の前に立っていた。
「………こんなとこに公園なんてあったっけな。というか、ここ、どこだ?」
完全に迷った。ヤバイ、このままじゃ明日の日は拝めない。
でも、別に焦ってはいない。むしろ………
「……なつか………しい?」
なぜかはわからない。でも、心の奥底からこみ上げてくるこの思いは間違いなくそれだ。
「なんでだろ……ここ来たの、始めてなのに………」
その思いに浸りながらそこに立っていると、
あれ?景色がゆがんできた。何故?
頬を暖かいものが伝う、鼻からも、何か出てきそうだった。
泣いてんのか、俺。
嗚咽の声はまったく出てこない。ただ、眼から涙がとめどなくあふれてくる。
感動…って言うのかな、でも、なんか違う。
綺麗な景色を見ても、必ずしも泣けるとは限らない。
でも、ここは何度見ても泣ける、多分。
なんだろう、綺麗な景色とかと、この公園の違いが、俺にはわかんない。
まったく、わからないんだ……………
俺はしばらく、そこに立ち尽くしていた、
たくさんの、涙を流しながら……………………
続く…
あとがき、
二話目です。この話からようやくD,C,キャラが現れます。
九郎さんの作品内では凛君と、今回登場した白河ことりさんはある事件により一緒に住んでいる、という設定になっています。
ですから二人をできる限り違和感なく登場させるにはこれくらいしかない、と思い、こういう話になりました。
ですがやっぱり見てみてへんだよな〜、ちょっとムチャな話だよな〜、ってところはあります。
まずトーヤが二人を厨房に入れる際、あの辺りはすごく違和感のある展開になっているでしょう。
あれは、せっかく登場したのに会話もほとんどなしで終わらすのはよくないな、という考えから生まれた発想です。
ですが何せ一時間もかけずに考えたことですので穴だらけです。今になってもっと考えておけばよかったなと反省しております。
それから先も見てわかるように急場しのぎの文が連なっている状態になっています。
この辺りも書いている途中で考え出したりしていたものなので変な文になってることが多いです。
以上のことをこれから気をつけて書いていきたいと思います。
最初この話で、トーヤを学校に通いながら翔翠亭でバイトしているやつ、にしようと考えていましたが辞めました。
理由は、どう考えても両立させにくいからです。
一応トーヤは16歳なので高校には通えます。しかしある事情により入学できない、というのが現在の設定です。
だから学校での話などはトーヤ視点で書いている限り、書きにくいんです。
そんなわけで次回からは、九朗さんのアイディアをお借りして、ことりさんか凛君、どちらかの視点でのお話をします。
トーヤが出てくるかどうかは未定ですが、何らかの形で出演させることができたら……と思います。
それでは次の話で。