存在とは『有』である。では、『無』とは何か?

とある科学者の助手が尋ねた疑問だそうである。

 

これに対し、助手の師匠である博士の答えは意外なものであった。

 

『存在が『有』であるならば、『無』も『有』である』

 

では、なぜ『無』というのだろうか、『有』と『無』は相反するものだ。

そこには『なにもない』のだから、『無』では無いのだろうか。

 

それに対し、博士はこう答えた。

 

『あるさ。 『無』と認識しているものがある限りは』

 

どういうことなのか。 『無』とは元来意味的にも『ないこと』として扱われる。

それなのに、この博士は『無』とは『有』であると言う。

不可思議だ、という顔をしている助手に博士は続ける。

 

『まず、世の中と言うものは異常と言って良いくらいの矛盾に満ちている。

 これは世の中の常識として世界中の人々が暗黙のうちに理解していることだ』

 

突然関係のなさそうな話を始める博士。

 

『ああ、この話を続けていると終わりは無いな、先を急ごう。 一つ質問があるんだが、『有』とは何かね?」

 

当たり前、しかし説明は簡単ではないことを博士は聞く。

しどろもどろに近いが、助手は自分の答えを言う。

 

『では、その『有』を認めているものは何かね?』

 

は?

 

『嗅覚、触覚、味覚、視覚、聴覚。 いわゆる人間でいう五感だ。 
これがそのものの存在を認識していること、それが人間にとっての『有』だ』

 

どういうことです?

 

助手は疑問を素直にぶつける。

対して博士は笑うばかり。

 

『五感で感じられること、それが、"人間にとっての"『有』だということだ。

 たいして、五感で感じられぬこと、"それが人間にとっての"『無』だと私は思う』

 

感じられるか、感じられないか、その違いだと博士は言う。

では、無いのに存在を知っているものはどうするのだろう。

たとえば、空気は? 色のついていない気体は?

 

そして、人が一番その特性を使えているもの、人にしかそれを表せないもの、

 

『心』は?

 

『五感で感じられなくとも、空気はある。気体も存在する。 それは、脳が感じるということの、最たるものだからだ。

 脳で意識したことは、大抵が『有』になる。 では、心は? 答えは簡単。心もある。脳が認識しているからな』

 

でも、心は目には見えないものだ。

見えない、触れられない、聞けない、味だって無い、匂いなんて影も形も無い。

 

それでも、脳が感じているからと言う理由で、心があることになるのだろうか?

 

『では、逆に尋ねるが、目に見えない、からと言って君は空気の存在を否定するかね?

 それと同じだよ。 心だって、そのような理由で『有』でなくなることなどありはしない』 

 

はぁ………

 

『科学的、といっていいものなのか、空気や気体の存在は実証されている。

 だが、『無』というものの定義は非常にあいまいで不確かだと私は思う』

 

ここまで来て、助手は博士が何を言いたいのかが、よくわからなくなっていた。

話を無関係な方向へ進め、真実をさえぎっている気がする。

 

『ふむ、少しおしゃべりが過ぎたかな? 退屈だったろう』

 

そんなことはありません、と助手は答えた。

博士の話は、実際のところ興味深い部分もあった。

 

無と有の定義、その境界線がはっきりしたとき、

人間は、何を『有』とし、何を『無』とするのか。

 

『それでは、研究のほうへ話を移そうか』

 

博士が研究していること、それは、『存在』の研究。

認識されなくなったものは、本当に存在しているのかというのがテーマ。

 

『認識、とは何だと思うかね』

 

認識、それはさっきの話と似ている。

感じられることだと、普通はそう思う。

 

『私の課題は認識されないものが存在するかどうか。 だが、これの答えはすでに出ているようなものだ』

 

博士は咥えていた禁煙パイプを床に放り捨てる。

かなり歯形が付いていたところを見るとよほど禁煙は苦しいらしい。

『認識できない以上、存在ではない。 しかし、これにだって例外くらいある』

 

例外?と助手は尋ねる。

 

『"記憶の中に残っているもの"まで消さない限り、存在は消えない。

 認識ができなくとも、"それ"は人の『心』のなかで存在し続ける』

 

では、存在は終わらないのだろうか。

  

『だが、"限りない無"にものを近づけることはできる。 認識され、記憶に残り、あり続けること。それが本質なら』

 

どういった方法なのだろう、存在を消し去る方法とは。

ただ記憶から、この世から、存在を消すのとは違う気がする。

 

何かが、決定的に。

 

『五感で認知されず、記憶にも残らない。 それが限りなく無に近づいた存在だ』

  

ああ、

 

やはり、そうなってしまうのだ。

 

『だから、あれを私は作った。完全にするには少しかかったが』

 

博士が指差す方向には手袋が置いてある。

漆黒の黒色に染まった、指先が出るタイプの手袋だ。

 

中でも特徴的なのは手の甲についた小さな宝石。

水晶のように透き通った輝きを放つ宝石。

 

これが、人間を『無』に帰す手袋か。

 

『だが、このようなもの、私にとっては価値の無いものだ』

 

それはその通りであろう、貴方のようなものならば。

自己の探究心を腐らせ、現状に満足している貴方では。

 

『どうでもいいではないか、存在を消すことなど』

 

どうでもよくは無い、少なくとも私には。

私は、貴方の記憶を持っていない。

私は、貴方を認識してはいない。

わたしは、『存在する者』を無に帰す存在。

 

 

 

ロストロギア、『ルキフグス』

 

 

 

『これで、私の研究課題の一つについての話はおしまいだ。

 その他に、いやこの話でもいいが、何か聞きたいことはあるかね?』

 

博士の言葉に甘える形で、助手は質問した。

この手袋は、どのような人間が欲するのかと。

 

『ああ、そのことか。 それなんだが』

 

後悔していても、もう遅い。

私にこの能力を持たせたのが、貴方の敗因。

 

さあ、今こそ動こう。

 

消し去るために。

 

 

  

『こいつはな、力を欲している人間のところに現れるんだよ。 自動的にな』

 

 

 

博士はそう言うとイスに腰掛けてしまう。

助手もため息を一つついて空いていたイスに座り込む。

 

ふと助手が目を向けた先、その先で。

 

漆黒の悪魔が、起動を開始していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕暮れをとっくに過ぎ去り、今現在は夜中。

時刻で言えば、午後十時近い時刻であろうか。

 

海鳴市内にあるとある公園を、少年は歩いていた。

少年の手にはカバンが下げられている。

 

塾帰りらしい少年は少し肩を落としながら公園の遊歩道を歩く。

口から出てくるのはため息、そしてマイナスの言葉。

 

「ああくそ、面白くも何とも無いんだ………」

 

昨日やってきた転校生は、風変わりで、面白かった。

子供なのに、子供じゃない、自分とは別の人種。

だけど、どこかしらが自分と似ていて、共感できて。

すごく面白くて、自分の退屈を忘れられて。

 

でも、現実は現実。

今自分は、塾から帰って家に向かう。

 

「………なにか、なにかないかなぁ………」

 

燃えられるもの、が欲しかった。

こんな冷め切っている自分にも、何か心躍ることが。

 

「?」

 

ポツポツ、と雨が降ってきた。

見上げると空はいつの間にか真っ黒。

そして次第に雨は強さを増していく。

 

傘を持っていない彼は近くの森に入る。

とは言ってもそれほどまでに大きい森ではない、

数メートルくらいの範囲に木が集まっているだけである。

 

近場にあった枝葉がしっかりしていそうな木を彼は選ぶ。

なんとか、雨はその木の葉に当たって下にはこない。

 

少し、いや結構濡れてしまった服の状態を彼は見る。

乾かそうにも周りにそんなことができそうな場所なんてない。

 

「えいくそ、微妙な不幸が襲ってきたぞ」

 

雨の様子を見ながら彼は言う。

雨は止むことなく、一定の勢いで降り続ける。

 

しかたない、と彼がその場に腰を下ろしたとき、

 

 

 

「観念しろ」

 

 

 

と、何処からか声が聞こえてきた。

 

声のしたほうに少年は向かう。

すると、森の中で、五人くらいの男たちが一人の男を囲んでいる。

 

男たちはそれぞれの手に何か武器のようなものをもっていた。

対して、囲まれている男は手袋をしているだけで、他には何もない。

 

「さあ、大人しく来い。 管理局はきちんと話は聞く」

 

「知るかよ、そんなこと。 俺が危険だって知ってて話聞くバカがいるかよ!」

 

男は立ち上がると同時に火炎弾を放つ。

それを弾き飛ばした男が手袋をした男を殴り飛ばして気絶させる。

 

「隊長!」

 

「安心しろ。 こいつは魔力攻撃に反応しやすい。だから殴ったまでだ」

 

「いや、それよりも『存在』の方が………」

 

「大丈夫だ。この男にはあれは扱いきれていなかったようだ」

 

森の中で不思議な会話を交わした後、男を捕らえる管理局。

その様子を、一秒ももらさずに少年は見つめていた。

 

転移魔法が発動し、男たちが消えていく。

そして、最後の男が消えた後、辺りには静寂が残った。

 

「なんだったんだ、今の………」

 

心臓の鼓動が一番よく聞こえる。

そして、降り続く雨が、次に聞こえる。

 

「………夢、にしては鮮明過ぎる。 幻覚とも思えないし………」

 

今見たことはすべて現実だった、と彼は思う。

理解はできないし、想像もできないが、今の一瞬まで起こっていたことは、すべて現実である。

 

だとしたら、彼らは何者だったのだろうか。

『管理局』と名乗っていたが、何かの組織だろうか。

 

何の目的で、あの男を捕まえたのだろうか。

『存在』、とはどういう意味だったのだろうか。

 

そして、これは自分が燃えられること、なのかも知れない。

 

そう考えたとたん、彼の心は昂ぶった。

 

「絶対に、突き止めてやる」

 

そう決心したとき、

 

彼の目線の先に、手袋が落ちていた。

漆黒の色、指先だけが出る仕組み。

そう、あの男がつけていたのと同じ手袋。

 

少年は雨の中に出てそれを手にとる。

そのとたん、手袋が妖しく輝き始める。 

 

『お前は、欲しているな』

 

頭の中に響いた声。

間違いなく手袋から発せられたものだった。

 

『教えてやる、貴様が知らない世界。 『魔法』と言う技術に彩られた世界を』

 

雨が激しく降り続く。

すべてをぬらし、恵みの雨は降りしきる。

 

その中にいて、かつ異常。

 

少年は、歓喜した。





 

新たな世界への、扉がつながった。



 

 

 

 

世界中の人々にとって、最悪の形で。

 

 

 


 

 

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