「わからねぇ」

 

ミッドチルダの首都、クラナガンのとあるバーのカウンターで、男が呟く。

彼が座っているのはカウンターの右端の方で、目の前にはマスターが一人。

彼から見て左側には椅子が十脚分とそれに見合った長さのテーブル。

 

店内の照明は目には悪いがムードをかもし出すのにはちょうどよい明るさで、

店内の人の顔が微妙にぼやけるかぼやけないかくらいになっている。

 

天井から吹いてくる空調の涼しげな風を受けながら、男はグラスの中の液体を飲み干す。

カウンターに置いたグラスの中の氷が軽快な音をたてて回る。

 

「な〜にがわかんないの? マスター、あたしには水だけでいいよ」

 

「かしこまりました」

 

突然後からかけられた声のほうを向く男。

そこには快活そうな赤毛の少女が立っていた。

 

「ジェイク〜、一人で酒飲むなんて水臭いんじゃないの?」

 

「ほっとけよイーリス、たまにゃ一人で飲みたくなることもあるんだ」

 

男、ジェイク・ランブルグがそう言うと、少女、イーリス・スタンバーグは男の隣の椅子に座る。

イーリスは心なしかジェイクの態度に対しての膨れっ面を見せていたが。

 

「ま、どうせあいつのことでも考えてたんでしょ?」

 

「正解だな。 だが、それ以外にも思い出していたことぐらいあるさ………」

 

ジェイクは新たなウィスキーをグラスに注ぎ、そのまま飲み干す。

酒臭い息をふぅっと吐き出し、グラスをカウンターに静かに置く。

 

「本局勤めのときのあれ、まだ忘れてなかったんだ………」

 

「それを言うならお前だって同じだろう。 あれだけの事をされていたってのに」

 

ジェイクが抑揚の無い声で告げると、途端にイーリスが口を噤む。

黙りこくってしまったイーリスを横目で見ながら彼はグラスにウィスキーを注ぐ。

 

「ま、お互い嫌なことってのは忘れられないもんだな。 別に覚えていても得なんてしねぇのに」

 

「忘れて………、たまるか」

 

イーリスが絞りだした言葉に目を丸くするジェイク。

 

「あれだけの仕打ちを受けて、それでも笑ってたあいつを連中はあっさり切り捨てた。

 絶対に、忘れてたまるか。 あのときの痛みと悲しみと絶望は、決して」

 

「イーリス」

 

ジェイクは諭すようにイーリスに話し掛ける。

 

「瞳孔開いてるぞ。 それと顔が完全にマジじゃねーか」

 

ジェイクに言われた途端にイーリスはいつものような快活な雰囲気に戻る。

無理して笑顔まで作っているところが微笑ましい、とジェイクは心の中で笑っているが。

 

「あはは、失敬失敬。 失敗してしまいました」

 

「お前は昔っから失敗すると敬語使うよな。 変わってね―よ」

 

「それを言うならジェイクだってそうじゃない?」

 

どこがだ? とイーリスに返すジェイク。

一方のイーリスは微笑んだままの顔を崩さない。

 

「昔話するとこ、出会った当時から変わりない」

 

「しょうがないだろ、俺には"昔"しかないんだから」

 

"昔"しかない男、ジェイク・ランブルグはグラスに注いであったウィスキーを飲み干す。

すでに氷が溶けて水っぽくなっていたそれは、冷たさを喉に残しながら溜飲されていく。

 

ジェイクが一息ついたところでイーリスがつまらなさそうに店の入り口を見る。

イーリスが指す方向を見てみると、そこには栗色の髪の毛をしたツンツン頭の青年が立っていた。

 

「やっぱり二人ともここにいた。 探しましたよ〜」

 

「別に探して欲しくは無かったけど、話し相手が増えるからいいかな」

 

「俺としちゃあ愚痴こぼす相手ができて嬉しいけどな」

 

カウンターの方に視線を戻しながら独り言のように呟くジェイクとイーリス。

入ってきた青年、セドリック・ランパーシュは二人の隣の席に腰を下ろす。

 

ジェイクがセドリックの方をちらりと見ると、セドリックの愛銃が腰のベルトに刺さっている。

それから察するに、何かの任務か、もしくはいざこざに巻き込まれてからここに来たことになる。

 

「………何か、あったのか?」

 

「ちょっと昔の件についてのことで。 別にもう済みましたが」

 

そうかい、と言ってジェイクは空のグラスにウィスキーを注ごうとする。

しかし、何度ビンを振っても水滴が落ちてこない。

つまるところ、飲みすぎで空になっているのである。

 

「あー、ま、いいか。 これから愚痴こぼそうって時に酒は野暮だもんな」

 

「その酒がないと、言えない愚痴もあると思うけど?」

 

うるさい、と言ってジェイクは空のグラスに口をつけようとして、空であることにふと気づく。

先ほどからグラスに口をつける回数がいつもより多い気がしてならない、

それほどまでに、精神に不安定さをきたす何かがあっただろうか、と彼は思考をめぐらせる。

 

「………一つ、昔話してやろうか」

 

「どーぞどーぞ、こっちも話題が無くってつまんなかったころだし」

 

微量に酒を飲んでいるのか、いつもより頬が赤く染まっているイーリス。

まだ成人には早いだろ、と思いつつジェイクは話を始める。

 

「昔々あるところに、いや、"時空管理局に"だな。 熱血漢の直情バカがいました。

 そのバカは、陸士部隊の最前線に所属し、数々の任務をこなしてゆきました」

 

「へ〜、それって自分の………」

 

「じゃかましい、黙ってろ」

 

ふぁ〜い、とイーリスは焦点の定まらない目つきで答える。

 

「こいつ完全に飲んでやがるな………、まあいい。 先を話すとする。

 そのバカには一人の友がいました。 同じく熱血バカです。

 彼らは共に競い合い、お互いをよき戦友として認め合っていました」

 

「ジェイクさん、それって………」

 

「まあいいから聞いてな。 二人は二年の歳月をかけ、三等陸尉まで昇格しました。

 二人は互いを称えあい、二人は青春真っ只中、幸せなときを過ごしていました。

 そんなときだったな、あのボケナスのせいで、あいつが死んじまったのは」

 

どこか遠い目をして、カウンターの一点を凝視しているジェイク。

彼の目の先には、二人が最初に飲み交わした酒のボトルがある。 

中身が、ちょうど半分だけ残っている、茶色がかった酒だ。

 

「やっぱり、気にしてるんですか、その傷ができた原因と、親友の死を」

 

ジェイクは傷を一度だけなで上げる。

 

「当たり前、だろう。 そこのそいつと同じでな、忘れようとしても忘れらんねぇんだ」

 

目を細めて、ジェイクは眠っているイーリスのほうを見る。

穏やかに眠っている彼女を見ると、とてもあのような扱いを受けていたとは信じられなくなってくる。

 

「"プロジェクトF"の遺産。 そのせいで、こいつは六年もの間苦しんできた。

 こいつだけじゃないか、あのプロジェクトに関わっていた者は大体苦しめられている」

 

そこまで言葉を紡いでから、ジェイクはその"例え"を探し始める。

そして皮肉で残酷でもあるが、例えはすぐに見つかった。

 

「例えばそこのじゃじゃ馬の親友………」

 

店内の照明が、一瞬だけ、妖しく揺らめく。

 

 

 

「チェリッシュ・ノーザンライト、とかな」

 

 

 

ジェイクは氷が溶けてできた水を軽く飲み干し、グラスをカウンターに置く。

一連の動作をセドリックが黙って見ているのを確認してから、彼は話を続ける。

 

「そこのじゃじゃ馬はな、幼少時に大事故にあってんだわ。 周りの連中悉く死ぬくらいの。

 乗っていた旅客機が空港発着直前に撃墜、犯人グループは未だに捕まってない。

 消防隊、管理局総出で救出、消火活動にあたり、それでも鎮火まで半日以上かかった大事件だ」

 

「その話は聞いたことがあります。 犠牲者が数千単位に昇るとか………」

 

「うん、まあそんなもんだ。 んで、こいつはその中で奇跡的に"生きていた"

 まあ、生きていたって言っても半身は使い物にならねぇ、更に虫の息だ。

 そんなこいつを救ったのが、人造魔道師の技術、プロジェクトFの遺産だよ」

 

「確か………、人の足りない部分を補うために、もう一度体を再構成する技術………」

 

「それのせいでこいつは"生かされた"、その上、研究者どもはこいつを貴重な実験体と見て取った。

 やつらは………、こいつと同じようなやつらを集めて、人体実験を繰り返し行った」

 

非道なもんだ、と呟き、ジェイクは天井を見上げる。

暗い照明と、天井から降ってくる空調の風が、少しずつ酔いを覚ましていく。

 

「研究内容は結構壮絶だったらしい、人体に加わる負荷は、いったいどのレベルまで行くのか、とか、

 魔力開放のオーバーロードとはいったいどのようなメカニズムで行われるのか、とかな」

 

話しているうち、ジェイクの拳に力が入ってくる。

それに気づいたジェイクは、肩の力を抜くように話を切り上げる。

 

「ま、その研究機関は存在がばれてとり潰し、イーリスは助かりました、と。

 でも、巷の噂じゃそいつらの残党が生き残っていて、まだ何かする気でいやがるらしい」

 

「それが本当だとすると、今度は生きた人間を使った実験、ですかね………」

 

「狂った人間の考えることなんて俺たちにはわかんね―よ」

 

たとえ狂ってたとしてもな、とジェイクは付け加える。

 

「狂っているからこそ、人は非道な手段、非人道的な行為ができる。

 だったら戦場にいるやつらなんてのは、最初っから狂ってるのかもな」

 

「僕なんかその筆頭ですかね」

 

「………お前は体の一部が機械なだけだ、それ以外に、俺たちと変わりなんて無い」

 

いつに無く口調がまじめだな、と自嘲するジェイク。

額に手を当て、酔いで上がってしまった体の温度を確かめる。

 

「IS(インヒューレント・スキル)が無いだけでお前は普通の人間だ。 安心しろ、誰にもお前のことは否定させねぇ」

 

「大丈夫ですよ。 普通にしてれば何も言われませんから」

 

苦笑いを浮かべてグラスの中の液体を飲み干すセドリック。

どうしてこんな人当たりのいいやつが、とジェイクは心の中で憤慨する。

 

セドリック・ランパーシュという青年は、幼少時に誰かに保護された、とジェイクは聞いている。

何歳のころ、どこで、どういった経緯で、ということは知らなかったが、事情があったことだけは知っていた。

彼はその後、管理局の手で施設に送られ、決して幸福ではない幼少期を送った。

 

そんなセドリックが、何故この世界にもう一度入ってきたのか、それを知るものは本人だけである。

ただ、人づてに聞いた話によると、これは彼なりの"復讐"なのだそうだ。

自分を作り出したとある人物への挑戦状でもあるらしい、とジェイクは知人から聞いたことがある。

 

そして、彼の言う復讐の相手というのは、出会ってから始めて知った。

セドリックの復讐の相手とは、自分を作り出したとある科学者なのだそうだ。

その相手が、今どこにいて、何をしているのかをセドリックは知らない、と言っていたが。

 

そのときにセドリックがジェイクに話してくれたことがもう一つだけあった。

自分の体の一部が機械でできている、"戦闘機人"という存在であること。

自分はそのセカンドタイプ、そして唯一とも言える"欠陥品"であったこと。

そのせいで、研究所の中で居場所が無く、いつも一人でうつむいていたこと。

 

そしてそのときジェイクは、世界にはこれだけの不幸な人間がいるのか、と思った。

イーリスやセドリック、それ以外の世界中で利用されている者たち。

その全てが、今もこの世の中のどこかで苦しみ、死を迎えている。

 

それを救いたいから、それが親友が最後に願ったことだから、

だからジェイクは今でも走り続けている、それに向かって。

 

「ったく、ちょいとおしゃべりが過ぎちまったな。 じゃじゃ馬姫もおねむの時間だ」

 

隣の席で、カウンターに上半身を乗せて眠りに入っているイーリスを見て、ジェイクが言う。

 

「ですね〜、もう子供は就寝の時間過ぎてますよ」

 

「お前だってまだ成人して無いだろうが、まだ二十歳じゃねぇんだろ?」

 

「もうすぐですから大丈夫。 それよりもジェイクさんのほうが………」

 

「ああ? 俺はまだ元気な四十七歳だ。 それと、俺のことはジェイクと呼べと言ってるだろうが」

 

そう言うとジェイクはイーリスを背負いながら勘定を払い、店を出て行く。

それに続くようにして、セドリックも自分の分の勘定を払い、店を出て行く。

 

店を出ると、思ったより夜風が涼しく、頬に当たる感触が激しい。

しかしそれも今の二人にとってはちょうどいいものらしい、

ジェイクもセドリックもただ空を見上げて景色に見入るばかり。

 

「さて、俺はここで帰るとするが………、その前にこいつの家はどこだ?」

 

「確か最近新設した特任隊の寮に移ってましたよ。 部屋までは知りませんけど」

 

「バカ、そこまで知ってたらストーカー疑惑をかけられるぞ」

 

用心します、と言ってセドリックは苦笑いを浮かべる。

 

「じゃ、また明日な」

 

「ええ、また明日」

 

そう言うと、ジェイクとセドリックは正反対の方向へ歩き出す。

白銀の月が、道路を照らし出し、道標を確実に作っている。

そんな道を、ジェイクはイーリスの寮に向かって歩いていくのであった………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「307、307………、と。 お、あったあった」

 

地球で言うマンションに酷似した建物の一室の前でジェイクは立ち止まる。

彼はその場にイーリスをおろし、暗証番号とキーの有無を確かめる。

 

「起きろ寝ぼすけ、暗証番号とキーの有無、早く言う」

 

「ロックナンバー6396、キーはこれ…………………」

 

「ずいぶんあっさりと教えやがったなこいつ………」

 

ジェイクはあきれながらもナンバーを入力、渡されたキーを使い、ドアを開く。

人が二人ぐらい入ったら狭そうな玄関口で靴を脱ぎ、リビングに入る。

 

入って左手にキッチン、真っ直ぐ見るとテーブル一つと椅子が四脚。

右手にドアがあって、そこが寝室へと続いているようである、

はっきり言って独身の、しかも思春期真っ只中の女の子の部屋じゃない。

 

「ものすごく殺風景だな………、色気の欠片もねぇ」

 

部屋の内装に違う意味であきれながらもジェイクは右手のドアを開け、寝室へと進む。

そこにあった一人用のベッドにイーリスを寝かせ、布団をかけて立ち去る。

 

「ふう、これでやっと帰れるのか………」

 

安堵のため息を漏らすジェイク。

そしてもう一度だけ、イーリスの部屋を見渡す。

 

本当に殺風景で、ものが机と椅子しかない部屋。

一般的なデスクのような机の上には、一つだけ、写真が飾ってある。

 

「チェリッシュ・ノーザンライト………、か」

 

そこに写っている黒髪の少女の顔は、本当に楽しそうで、邪気が無くって、

だからこそ、ジェイクはこういう人たちを守りたい、救いたいと願っている。

その決意や覚悟はあるし、守りたいと思う人たちだって、自分の周りにいる。

 

 

 

しかし、

 

 

 

「………あいつだけは、本当にわからねぇ」

 

ジェイクは不安と共に一人の人間の名を呟く。

その少年は、この世の誰よりも地獄を知っている、

そういう風に、ジェイクには見て取れた。

 

 

その少年の名は、

 

 

 

 

「八神ひかる、あいつは………、いったい………」

 

 

 

 


 

 

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