八神ひかる一尉がセドリック・ランパーシュ一等空尉に連れられ特任隊オフィスに来る、ちょうど三十分前。
オフィスに残っていた隊員と、ジェイク、イーリスの両名は最も会いたくない人物の相手をさせられていた。
オフィスの左手の扉から行ける応接室に似たところのソファに、髭を蓄えた男が座っている。
黒々しい、まだ若いころの髭は、男のもみあげと連結し、一つの髭となっている。
眉はこれまた太く、目も少し細めで黒い瞳が周囲を威圧するように動く。
髪は左側の一部が白、その他は黒い髪を角刈りのように切り、ワックスか何かで固めている。
男が着ている制服は管理局内でも将校クラスの局員が着る制服で、
他との差別化を図るためなのか、襟のところの階級章が特別製になっている。
気障、というよりは確実に傲慢である、という態度で男はソファに座りっぱなしだ。
先ほど出されたコーヒーを不味そうな顔をして飲んでいたことからそれがうかがえる。
不満そうに、かつ退屈そうに男は窓の外を見る。
一瞬この男を後ろから串刺しにしてやりたい衝動に駆られるジェイク。
しかし、今この場でそういうことをすればこの部隊は解散決定。
そのことが彼の衝動をぎりぎりで踏み止まらせる壁となっていた。
「さて」
ソファに座っていた男は億劫そうに腰を上げる。
「ジェイク・ランブルグ三佐、ここの部隊長はまだこないのかね?」
はっきり言って聞きたくもない声が男の口から発せられる。
ジェイクはまだですね、と生返事で返す。
男は少々嫌そうな顔をしながらも部屋を見回す。
一通り部屋の中を見渡した男は入り口のドアから外に出て行く。
「何をしている、ここの案内くらいできるだろう」
男は横柄な態度でジェイクとイーリスに命令する。
二人は思いっきり嫌そうな顔をしながらも男の後ろにつく。
男はドアを開け、特任隊の研究室、及び資料が揃えてあるブロックへ進む。
そこへ行く途中に何人かの隊員とであったが、皆、敬礼程度ですぐに去っていった。
「ここの部隊はそんなに忙しいのかね」
「まだ新設したばかりですからね、いろいろあるんですよ」
「フン、能無しどもでも働きはするのだな」
男の言うことに青筋を浮かべるジェイク。
イーリスが念話で注意を促すが聞く耳をもたない。
そうこうしているうちに男は資料室のドアを開け、勝手に中に入っていく。
後から続くイーリスと、拳を握り締めながら入室するジェイク。
入った途端、男は勝手に資料をあさり始める。
史書たちが止める間もなく男は資料を放りっぱなしにして次の棚へ向かう。
そう言ったことを棚五つ分ほど繰り返し、男は入り口まで戻ってくる。
そして資料の整理をしていたものにこう尋ねた。
「おい、八神一尉についての情報は何も無いのか?」
「まだここの資料は整理し終わってないんです。 わかるわけ無いじゃないですか」
「ふん、使えんな。 本局の無限書庫の司書長に比べるとまるで使えん」
その言葉にその場にいた全員が反感を持つ。
確かに無限書庫に比べればここの資料の数は少ない、
しかしここにしかない機密書類もあれば、隊員たち全員のデータもあるのだ。
それに、部隊が発足してからまだ一週間もたっていない。
その状況でも棚に書類を一応であるが纏め上げ、
誰にでも閲覧しやすいようにしておいたのは間違いなくここの司書たちの功績だ。
それをこの男は本局お抱えの司書と比較し、使えないと切り捨てた。
男はそんな全員の反応に不満があるのか、更に態度を傲慢にする。
「まあいい、私が視察を終えるまでに八神一尉のデータを揃えておけ」
それだけ言うと男は資料室から出て行く。
ジェイクとイーリスは司書たちに気にするな、と伝え、男の後を追う。
慌てて走ってきた二人を男は数メートル先で待っていた。
「遅いな、何をしていた」
「別に、少将のやったことの後始末をしたくらいですよ」
ジェイクが反抗的な目つきで男を睨みつける。
男はそれが気に入らないのか、階級章を見せ付ける形で言う。
「私は誰なのか、もう一度わからせるのが適当かね?」
「スティーブン・ロウエル少将、で間違いはございませんね?」
「その通りだ、ならば、君は私の階級もわかっているはずだ、ランブルグ三佐」
威圧的な視線を向けられ、押し黙ってしまうジェイク。
スティーブンの身長はジェイクより十五センチ高い。
そのスティーブンに見下ろされれば、誰でも黙ってしまうのは当然。
「言葉は慎んだ方がいい、君たちみたいな問題児の居場所が欲しいならば」
それだけ告げるとスティーブンはさっさと歩き始める。
スティーブンに聞こえないように舌打ちをしてから後に続くジェイク。
スティーブンは研究室前を素通りし、扉を開けてオフィスに入る。
ジェイクとイーリスはため息を一度ついてからオフィスに入る。
特任隊オフィスは機動一課側の入り口から見て、縦に四列、横は適当に机が並べてある。
スティーブンが立っている位置から見て正面のドアが隣のオフィスへの入り口、
左手に見えるドアは機動一課側の通路の入り口となっており、
右手に見えるドアの上には隊長室とかかれたプレートがぶら下げてある。
オフィス内は仕事こそしているものの、好き勝手しているものが多く、
スナック菓子やジャンクフードを食しながら仕事していたり、
隣の同僚と世間話や雑談を繰り広げているものもいる。
それでも机に詰まれた書類は結構なスピードで減っていく。
問題児、ではなく優秀な局員が多い証とも言える。
「………君たちは私に敬礼の一つも無いのかね?」
スティーブンの苛立っているような声がオフィスに響いた。
その声に気づいたのか、隊員たちはスティーブンの方を見る。
だが、立ち上がるのが遅いのか、それとも最初の無視が気に食わないのか、
スティーブンは苛立ちを表情に出しながら隊員たちを睨みつける。
それに気づいているのか気づいていないのか、隊員たちは眠そうな顔で敬礼をする。
そしてだらだらと席に座り、同じような状態に戻ってから仕事の続きに入る。
そのあたりで、スティーブンの堪忍袋が切れた。
「貴様らァ! この私に対してその態度はなんだァ!」
大声で叫ぶスティーブンを気だるそうに見る隊員たち。
その態度にスティーブンは顔を真っ赤にして叫ぶ。
「貴様らみたいな使えない問題児どもをここに纏めてやったのは誰だと思っている!
この私の声が無ければ貴様らは管理局に居場所すらなかったのだぞ!
感謝しこそすれ、今のような態度で迎えられるような仕打ちはできないはずだ!」
スティーブンの上から目線にカチンと来る隊員たち。
先ほどまでのだらけたムードが一変、全員が殺気を放っている。
その殺気を放った目を睨みつけ、拳を握るスティーブン。
「なんだその眼は! 貴様らのような管理局の汚点が私に逆らう気か!
私は少将だぞ! 貴様らのような管理局のゴミどもとは位が違うのだ!」
「言ってくれるじゃねぇかクソッタレが………」
ジェイクがスティーブンを睨みつけている。
スティーブンは怒りの矛先をジェイクに向ける。
「貴様、今私に向かってなんと言った?」
「クソッタレって言ったんだよこの腐れ少将がァ!」
「この私をこれ以上怒らせるつもりか? すぐにでもここは解散だぞ?」
「あんだと?」
不敵な態度でジェイクを挑発するスティーブン。
ジェイクは挑発に乗ってしまったのか、怒りのボルテージが上がっていってしまっている。
「聞こえなかったのか? 全く、問題児どもは耳も悪いのだな!
もう一度だけ言ってやろう、私に手を出せばこの部隊は即時解散だ!」
「関係ないだろ」
「何?」
怒りのあまり、握った拳から血が流れ始めているジェイク。
彼の頭には血が上ってしまっていて、もはや穏便に事を収める余裕は無い。
「処分したいなら手を出した奴を処分すればいい、それ以外の奴を処分するなんざ間違ってるだろうが!」
「連帯責任という言葉があるだろう、それを貴様は知らないのか!?」
本来であれば知っている、と答えるのが筋であろう。
しかし、今この瞬間だけはそんなもの知らない、と答えたかった。
自分と同じような境遇にいた面子が集まれる場所、そこを壊したくは無い。
問題児には問題児の、汚点には汚点の、居場所が必要だ。
それをこのクソ野郎なんかに壊されたくない、壊させたりなんかしない。
処分は自分ひとりがかぶればいい、とジェイクは決めている。
後は目の前にいるこいつを一回だけ殴り飛ばせれば、それでいい。
本当の本気、これ以上ない力でこのクソ野郎をぶちのめす。
それだけ考えながら、ジェイクは拳にありったけの力を込める。
思い切り右腕を振り上げ、振り下ろす形でジェイクがスティーブンを殴り飛ばそうとしたとき、
「よく言ったぞはさみ坊主のおっさん」
スティーブンとジェイクが一瞬スティーブンの後に気を取られた瞬間。
スティーブンが、何者かにぶっ飛ばされ、壁に激突した。
「ぐあぁっ!?」
一瞬の出来事に状況を理解できていないスティーブン。
ジェイクは崩れ落ちるスティーブンを一度見てから、殴り飛ばした人物の方へ目を向ける。
そこにはアマチュアボクサーなら裸足で逃げ出すような綺麗なフォームで、
右ストレートを放った姿勢のまま固まっている特任隊隊長、八神一尉の姿があった。
「おいコラ、何勝手に俺の部隊潰そうとしてんだよ」
「貴様………、八神一尉か………!」
スティーブンは立ち上がろうとするが、頭がくらくらするのか、ふらつくだけで立ち上がれない。
ひかるはゆっくりとした歩調でスティーブンに近づき、上から見下ろす。
上から見下ろされることが相当悔しいのか、
それとも殴り飛ばされたことが気に食わないのか、
スティーブンは苦虫を噛み潰した顔でひかるを睨みつける。
弱冠十三歳の少年はその威圧するような視線に全く怯まず、
むしろスティーブンを威圧するような視線をぶつけている。
「わかっているのか、貴様が手を出した時点でこの部隊は解散決定だ!
今更何をしようとも、この私が下した決定は、変えることができない!」
「解散なら解散でもいいさ、また部隊は新設する。
でもその前にこの場の全員でお前をぶちのめすけどな。
その方がこいつらもストレス発散になっていいと思うから」
無茶な脅しをしてくるスティーブンにひかるは一歩も引かない。
権力を傘にきた暴力になど屈してたまるかとひかるの眼は語っている。
「それとな、少将。 あんたがどうやってその地位にまで上り詰めたか、ちょいと調べさせてもらった。
色々とわかってきたんだけどよ、少将、あんたなかなかの悪者じゃねぇかよ?」
「フン、それがどうした。 貴様らの集めた情報などこの場で握りつぶす!
貴様ら特任隊は今日を持って解散! 管理局から追放してくれる!」
「残念でした。 俺の持ってる情報は握りつぶせない」
舌を出してスティーブンのことをバカにするひかる。
スティーブンは顔まで真っ赤にしてひかるを睨みつける。
「この情報集めてこいって俺に命令してきたのは、お前の親父、ブランドン・ロウエル中将なんだよ」
「なっ……………………」
スティーブンが絶句する。
仕方の無いことだろう、とジェイクは心の中で思う。
しかし、この男に対する怒りが収まったわけではないが。
「これでわかったろ、俺の持っている情報は握りつぶせない。
そして特任隊を、こいつらの居場所は潰させない、絶対にだ」
「おのれ………!」
敵意を剥き出しにしてひかるを睨みつけるスティーブン。
ひかるは一瞬だけ哀れなものを見る目をしたが、すぐに元に戻す。
「覚えておけ八神一尉!私は必ず貴様を………」
スティーブンが捨て台詞を吐こうとしたとき、
「もうやめろ、スティーブン」
機動一課側のドアから誰かが入ってきた。
いわゆる紳士、というような雰囲気を漂わせる男がそこにいる。
管理局の制服を着ていて、階級章は特別製。
白髪交じりの髪を自然な形でワックスで固めている。
特注品らしいステッキを携えているが、背筋はしゃんとのびていて、歳を感じさせない。
口ひげはもう白くなっていて、顔には何本かしわが刻まれている。
時空管理局の名将の一人、ブランドン・ロウエル中将がそこに立っていた。
「お、親父殿………」
「もういい。 お前の頑張りは私も認めている」
だからこれ以上何もするな、とブランドン中将は言う。
スティーブンはそれに不服であるかのような眼で自分の父を睨む。
「もともと、私はお前に自分の地位を継がせたかった。
しかし、もともと魔道師としての才能が私より無かったお前には、ずっと苦労をかけてきたな」
「親父殿! そんなことを言わないでくれ!」
「いや、もう何も言うな。 私がかけた過剰な期待でお前には色々と手を汚させてしまった。
すまなかった、スティーブン。 私がもっとお前のことを考えて、お前の意思を尊重してやれば………」
「違う! 親父殿は悪くない、全て俺が勝手にやったことだ!」
頭を下げようとする自分の父に必死で語りかけるスティーブン。
ジェイクは、この男にもいろいろと過去があったのだろうか、とふと考えた。
多分、今の話から推測するに、この男はあまりよい評価を受けなかったのだろう。
使えない。 多分この言葉も幾度となく言われ続けてきたのだろう。
今更ながらに思うが、この男が使えないと連呼していたのは、部下にやる気を出させるためであった気もする。
しかし、スティーブンの性格と言い方が、逆に反感を誘うものでしかなかったと言うだけ。
そう考えてしまうと、スティーブンのことが急に哀れに思えてくる。
先ほどひかるが哀れなものを見る目つきになったのはこういうことなのか、とジェイクは思った。
「すまなかった、八神一尉。 私の息子が迷惑をかけてしまったようだな」
「………一発」
「なんだね?」
「ブランドン中将の息子さんは、俺のことを思い切りぶん殴る権利がある」
その場の全員が、ひかるの言ったことに疑問を抱いた。
先ほどまで圧倒的優位に立ち、スティーブンを追い詰めていた者の言葉ではない。
むしろ、勘違いで人のことを怒ってしまった後の少年のような顔をしている。
「そんな事情があるとは知らなかったし、何より俺は少将のことをぶん殴った。
上官に対する無礼と暴行で本来ならこの場で首切られちまう」
「それは……、確かにそうだが………」
「だから、俺が追放になる前に、少将に俺をぶん殴って欲しい」
全員が、スティーブンとひかるに目を向ける。
起き上がったスティーブンはゆっくりと拳を握る。
あくまでも澄んだ瞳をスティーブンに向けながら、
ひかるは微動だにせずスティーブンのことを見据える。
そしてスティーブンは拳を振り上げることなく。
「八神一尉に命ずる。 本日より、正式に一尉を特任隊の隊長とする」
室内が静まり返る、というか、予想外の出来事が多すぎて、誰も口を開けない。
そんな中、ひかるはゆっくりと右手を上げ、敬礼をする。
「八神ひかる一等空尉、その命令、確かに承りましたっ!」
「八神一尉」
「なんでしょうか、ロウエル少将」
スティーブンはひかるに向かって右手を差し出す。
それが握手を求めていると認識したひかるは自分も右手を差し出す。
「無礼を言って、すまなかった」
「私の方が、よっぽど無礼です。 ですから謝罪など必要ないですよ、少将」
「いや、謝罪せねばなるまい、それに私がこの部隊の後見人を務めることになるからな」
えええ!? という叫び声が室内に響き渡る。
それをみて、笑いながらスティーブンの事を見るひかる。
「いいのですか? 本気でそんなことを言ってしまって」
「今まで汚してきた手が少しでも綺麗になるならこのくらいはどうということは無い。
それに、これで贖罪になるとは少しも思ってはいないよ、八神一尉」
「それじゃ、よろしくお願いします!」
ひかるの声に合わせて、全員が敬礼をする。
こうして特任隊は、一つのスタート地点に立ったのであった。