木々がうっそうと生い茂っている、人の手が加わらない原生林。
古びた巨木や、若々しい緑の葉が、空を覆い隠す世界。
生物は木々の残す草や種を食べ、その命をつなぎ、
地面は死に絶えた生物を自らのエネルギーに変え、
木々はその地面よりまた生える、循環式が完全に成り立っている世界。
"特別"がなく、ただ単なる"普通"しかない世界を歩くものたちがいる。
それぞれが思い思いの防護服を身にまとい、思い思いの武器を手に取り、
それぞれに少なからずの理由があって、今この場にいるものたちだ。
社会から疎まれ、誰からも恐れられ、邪魔にされ続けてきたもの。
ふとしたきっかけで、周囲に決定的な亀裂を生んでしまったもの。
世の中すべてに利用され、悲しみが心を覆い尽くしてしまったもの。
彼らは寄り集まり、群れを成し、共に道を歩き続ける。
同じ傷を舐めあい、癒された気分になることで。
「だけどそれじゃ救われないのかもな」
「どしたの突然」
驚いたように話しかけてくるイーリスにジェイクは苦笑いで応じる。
「なに? 今日家出るときにアイロンのコード抜き忘れたとか、コンロの元栓閉め忘れたとか、そんなこと?」
「俺にどんな家庭的なドジを期待しているんだ、お前は」
冗談冗談〜、と言いながらイーリスは腰のベルトから二本のナイフを引き抜く。
抜き放つと同時にそれぞれを左右横薙ぎに振りぬいて飛び掛ってきた獣を切り裂く。
「おでましか!」
ジェイクが己のデバイス、巨大な黒光りする大砲、"グランドレイヴ"を起動させる。
起動させるとほぼ同時に薬莢を閉まっておくポーチからカートリッジを取り出す。
人差し指と中指の二つで挟んだ薬莢を滑らすようにチャンバーに装填、
そのままグリップを後ろに引いて薬莢をリロードし、爆発的に魔力を高める。
「さあて、派手に行きますか!」
肩に担いだ砲塔の重みを受け止めながらジェイクは弾丸を一発打ち出す。
群がる獣たちの中心に着弾したそれは周囲に火を吐きながら爆砕する。
着弾点から火を纏い逃げ出す獣たちを仕留めようと走り出すジェイク。
走り出したジェイクの後ろから弾丸が二発、一瞬送れて発砲音。
額を打ち抜かれた二匹のたてがみを持つ獣が崩れ落ちるようにして絶命する。
自分の真後ろのほうを振り返ったジェイクは木の上にいる青年の姿を確認して手を振る。
ジェイクが見ている木の上にはスナイパースコープをつけた銃を構えた青年が立っている。
『助かったぜ、セドリック』
ジェイクは木の上にいる青年、セドリックに念話を送る。
その刹那に、セドリックがあわてた様子で木から飛び降りてくる。
「なんだ?」
ジェイクが不信感を抱き、セドリックのほうへ駆け寄ろうとするちょうどそのタイミングで、
地面から棘や触手が現れ、ジェイクたち特任隊の面々を貫いていく。
先ほどまで優勢に見えていた戦況が一撃の下にひっくり返されたことを見て、動揺する隊員たち。
腕や足を貫かれ、触手にとらわれた隊員を見上げ、絶句するジェイクとイーリス。
「この………、小ざかしい真似しやがって………!」
「あたしたちが攻撃できないってわかっててやってるんだっ………!」
うごめく触手に対して、しかし特任隊、特にジェイクとイーリスは何もできずにその場にとどまる。
触手は攻撃を加えようとする隊員の目の前に捕らえた隊員を引きずり出し、盾にする。
やむなしに動きを止め、武器を下げてしまった隊員は、地面からの牙に体を貫かれる。
不思議なことに死者が出ない中、一番隊と二番隊は膠着状態を強いられていた。
「なんか、打開する策とかねーのかよ!」
「こいつら、知能レベルが相当高い。 半端な作戦じゃこっちがやられる………」
「ふ、二人とも! 回りよく見てください!」
セドリックが叫ぶが時すでに遅し、ジェイクとイーリスは地面から生える無数の触手に囲まれた。
不気味な色をしている触手たちは飛び退こうとしたイーリスの足を絡めとり、地面に叩きつける。
背中を地面に叩きつけられ、収縮した肺から無理矢理に酸素が押し出される。
飛び出そうした息は空中に持ち上がる動作によってまた中断させられ、
再度に渡る痛撃が意識の混濁を引き起こし、戦闘意欲を限りなく削いでいく。
「イーリス!」
「よるなジェイク! ここにきたらあんたまでっ!」
「それでも、助けに行く他ねぇだろうがよ!」
肩に担いだ重厚な大砲が火花を吹くのと同時に烈火の洗礼が大地を焦がす。
地面にもぐることでそれを回避した触手たちは新たに数を増やし、彼らの前に立ちはだかる。
「クソが………、いい加減にしやがれってんだ!」
倒しても倒しても増えてくる触手、そして森の奥から現れた新手の生物たちに閉口するジェイク。
一人、また一人と、魔力が底を尽き、触手に蹂躙されていく者たちが増えていく。
ジェイクの魔力、セドリックの残弾数、イーリスの体力も限界を迎えている。
もはや、彼らに助かるすべはない、と誰もが確信していた。
誰もが、自分たちが生き残ると言うことを、完全にあきらめていた。
「くそったれが」
ジェイクが心底あきらめたように捨て台詞をはいた瞬間。
「ライトニング・ボルテックス!」
瞬雷。
瞬く速度で落下してくる白いうねり、発光する竜巻の如き閃光。
一つ一つに込められた魔力はすさまじく、大地を抉り、木々を吹き飛ばす。
抉られた大地から覗いた、触手の総元締めへと向かって、雷撃が降り注ぐ。
奇声を上げ、皮膚が削り取られていくことに心の底から恐怖し、湧き上がる痛みに耐えられもせず、
血飛沫と、消化液のような液体と、断末魔の叫びを上げて絶命する、"彼から見れば"儚い命。
飛び散る生の残骸の中に、彼は悠然と。
死の真っ只中にいて、かつ、背中に生えるのは純白の"天使"の翼。
漆黒のコートを羽織り、黒のジャケット、スラックスタイプのズボンをはいて、
男性のものとは思えないくらいきれいな手には、白銀の剣と、夜景の如き黒の剣。
黒白を体現するような美しき剣を二振り、纏わり付く何かを薙ぐ様に振るい、
空を映す白き銀色の刀身と、光を飲み干す黒く鋭い刀身がその存在を証明する。
降雪の如く軽やかに、石像のように威風堂々と降り立つ彼を皆が凝視する。
細められた蒼眼から流れてくる感情は深い悲しみと嘆きの感情。
風に揺れるショートカットの炎髪は、彼の釈然としない、この状況の象徴。
「………てめぇか、八神ひかる!」
呼び止められたほうに、悲しげな目を向けるひかる。
見下すのではなく、あくまでも"哀れむ"ような目で。
「………この中で」
開かれた口から零れ落ちるように出された重苦しい言葉。
唐突過ぎて、そしてなおかつあまりにも当たり前すぎて、
その場にいた特任隊の面々は、この質問に答えられなかった。
「先ほどの瞬間、"生きることをあきらめちまった奴"はどれだけいる?」
空気が、変わる。
部隊長就任時の挨拶のような軽々しい台詞ではない、これ以上ないくらいの真面目な台詞。
人間の本質、人が人であるための心理の奥底まで貫き通すような台詞。
「もう一度だけ聞く、さっき自分が死んじまうと思った奴は、この中にどれだけいる」
威圧とも強制とも違う視線で隊員たちの顔を見ていくひかる。
その様子を見て、ジェイクは搾り出すように、さっき感じたことを伝える。
「ほぼ全員だろうよ。 俺たちは疎まれてる存在だからな」
ジェイクの自嘲めいた台詞を聞いてから、ひかるは一拍置いて、
「お前ら、俺のことなんて呼んだか、覚えてるか?」
「………希代の"天才"、"エース・オブ・ストライカー"、八神ひかる一等空尉」
あっけにとられながらもジェイクは自分の言った言葉を並べ立てる。
「お前の言う天才ってのは、地球で言う"天から授かりし才能"と書いて"天才"だろう?」
「………それ以外に何がある」
あるさ、とひかるは言い捨てた。
「"天から降ってくる厄災"、そう書いて"天災"って読むんだ」
驚愕の表情を浮かべる特任隊の隊員たちと違い、ジェイクはそれを聞いても冷静だった。
「それが、何だってんだよ」
この男、いや少年は何かをはぐらかしたまま話を続けている気がする。
"天災"と言う言葉に、彼が込めている意味が、まだジェイクには分からない。
対して、ひかるは表情を崩さぬままに告げていく。
「知ってたか? 俺は、管理局内で最も疎まれてる魔導師なんだよ」
最高の自嘲、そして本人にとっては最高の皮肉。
時空管理局最強の魔導師が、時空管理局で最も疎まれている魔導師。
最も頼りにされるべきはずの存在が、最も邪魔なものとして上層部には通っている。
しかしそれでいて、当の本人はそれをまったく気にすることがない。
「力があるっていうのは、転じて畏怖の対象になる。 それくらい誰だってわかるよな。
だからこそ、管理局の上層部は俺に早く鎖を付けたがっている。 頑丈な鎖を」
「何………、だと?」
「だからお前らみたいなはみ出し者を寄せ集めて一つの部隊にしたんだ。 そうでなきゃこんなことしねぇよ。
もともと邪魔な連中を、俺の失敗と同時に消し去ることぐらい簡単にできるからな、あの腐れ脳髄どもなら」
真相を知り始め、特任隊の空気が、別のものへと変わっていく。
次元も、質も、すべてがそれまで漂っていたものから変わっていく。
「仮に成功して、お前らを纏め上げたなら、管理局の利益になりこそすれ、損失にはならない。
それに、俺に"特任隊"と言う名の、頑丈で、強情な鎖を一生足に抱えたままにさせることができる」
「なら、なんであんたは俺たちのことを見捨てようとしない」
ジェイクの言葉は、全員の気持ちを確かに代弁していた。
見捨てるならほんの一瞬でできるのに、なぜそうはしないのか。
自分にとってのプラスがほとんどないのに、なぜここまで自分たちに関わるのか。
それを考えられるほど、空気は変わっている。
それの意味を問えるほど、全員の心が繋がっている。
「最初に言ったろ? 同じなんだよ、だから見捨てられない。 だから放っておけない」
要するに俺はとんでもないお人よしなんだよ、とひかるは言い放った。
しかし今回はあの時と違って、誰も彼をバカにしたりはしない。
誰しもが、彼に尊敬と、畏怖と、そして信頼を寄せ始めている。
「別に仲間意識持てとはいわねぇよ。 でも、俺と同じお前らには、生きる権利がある。
同じだったら、なにがなんでも生き残るために絶対に必要な目的ができる、絶対にだ」
それだけ言うとひかるはジェイクに背を向けて両手の剣を振るう。
ジェイクが見ると、ひかるのほうには、すでに何体かの猛獣が牙をむいている。
「もし、この中でまだ生きたいと願う奴がいるんだったら」
ジェイクたちにとっては絶望的な状況。 しかし、彼らの隊長はあきらめない。
絶望をいやと言うほど味わって、悲しみをこれでもかと飲み込んできたから、
これ以上ないくらいの地獄を、幾度も経験したという強みがあるから。
「俺はそいつが生き残るための道を切り開く、そんでもって全力でそれを守り抜く」
言葉で語る自分の意思よりも、態度と行動で示す己の信念。
それが若干十三歳の少年が、大の大人たちの心を動かすために使った方法。
「生きたかったら、止まらずに走り続けろ。 何があっても、決してあきらめることなく」
武器を取り、おのおのの心にその言葉を刻み込み、疎まれし者たちは立ち上がる。
生き残るために。 生き残って、世界を変えようともがいている少年に協力するために。
「そのために必要な道は、俺が切り開く」
だから、とひかるはそこでいったん言葉を切る。
「何があっても俺の後ろについて来い!」
怒号を上げ、いきり立ち、本能的な衝動のまま突き進む特任隊。
猛獣を蹴散らし、木々を薙ぎ払って、自らが生き残るために行動する。
(これが、俺たちに足りなかったこと、か)
ジェイクは大砲を撃ちながらふと考える。
今まで自分たちは、置かれた状況に愚痴をこぼすだけで、自ら変わろうとはしなかった。
蔑まれる立場を変えようとせずに、それにどこかで甘んじたまま日々をすごしていた。
だけど、今は違う。 少なくともこの瞬間からは変わった、とジェイクは思う。
変われなかったことが、何よりも自分たちを苦しめてきていたのだ。
でも、自ら変われたのだったら、後は何も心配をする必要はない。
変われるだけの勇気があるのなら、その後に動くことは、絶対にできるからだ。
(あばよ、鬱屈した日常。 そんでもって、これからよろしくな、八神ひかる"隊長")
心の中でだが、彼も少年のことを隊長として認めていた。
彼の世界は、この瞬間から、確実に変わった。